戌井昭人氏の作品。
主人公の「おれ」は、ふらっと海外旅行に行っては、金が尽きると団子屋でバイトをしているいわゆるフリーター。
パックパッカーを繰り返す主人公もだけど、それに輪をかけて自由人の父親。祖父が遺してくれたビルを経営する母親。未成年のくせに喫煙がばれて停学中のいとこのマー。倹約家だった祖父の名残が色濃いビルの一角で、この3人と共に暮らしていています。
ある日、アメ横で買った魚を使ってスープを作ってくれた父親が、サウナに行くと言ったきりこつぜんと姿を消してしまいます。決して料理音痴ではないはずに、ありえないぐらいスープがまずかったのは何かの予兆なのか・・・。
父親がふらっといなくなることはよくあるものの、それ以来情緒不安定になってしまった母親は酒浸りの日々。1週間ほどたっても、相変わらず父親からは何の音沙汰もなくついに「おれ」はアンクョンを起こすことに・・・。
行方の手がかりを求めて連絡を取ってみた人物は、犯罪に 片足つっこんでるような人たちばかり。登場人物に“まとも”な人はひとりもいません。(;^_^A 読み進めていけば、「よういっちゃん」こと父親の人となりが明らかになっていくのですが、とんでもなく“まとも”とはかけ離れています。(笑)
でも、主人公の「おれ」は、世界中を旅していたからなのか、はたまたフーテンの「よういっちゃん」の血を引いているからか、淡々として動じないんです。危機感や焦りみたいなものがまるでなく、それどころか自身もかなり乗っかっています。
よういっちゃんをはじめ、出てくるのは世間の常識よりも自分なりの善悪の基準に従っていくタイプの人間ばかり。それが正しいかどうかは別として、そういう人はそういう風にしか生きられない性分なのかもしれません。
表面上、一家の体裁はなんとか保っていて、固定概念に縛られない家族の在り方はどこか優しさと温かみすら感じさせます。けれど、法治国家でそういう生き方はなかなか許されるものではなくそれは薄氷の上に立っているようなもの。氷上にいられる間は余裕でいられても、氷が割れてしまったとき水の冷たさは想像をはるかに超える厳しいものになるのではないのかな。
そして、そういうときはきっと来る。・・・それが現実。そのときになってよういっちゃん達が何を思うのか。知りたくなりました。
本書では、他に「どんぶり」「鮒のためいき」といった短編が収められています。