「密告」という言葉には、秘密や内緒ごとを暴くようなニュアンスがあるので、本来なら触れてほしくないはず。でも「食べても構わん」と言ってしまうことで、「知られてもいいし、知られなくてもいい」というどこか揺れ動く心境が透けて見える感じがします。
伝書鳩に託した「ビスケット」も、かしこまったものではなく、軽やかで砕けたもの。つまり、畏まった秘密というよりも、「ちょっとした本音」とか「気持ちのかけら」のようなものかもしれません。それを相手が受け取ってもいいし、気づかなくてもいい。でも、本当は少しだけ気づいてほしい。そんな微妙な期待と遠慮のバランスが、この短歌の奥にあるように思えてきます。
あるいは俵万智さんの「知られてはならぬ恋愛なれどまた少し知られてみたい恋愛」という短歌のように、触れてほしくないけど触れられたいみたいな矛盾した心境みたいなものを感じます。「見てほしいけど、見られるのは怖い」「知ってほしいけど、知られるのは嫌」という感情は、恋愛だけでなく、友情や仕事、SNS上での発信など、あらゆる場面で生じるものです。
例えば私自身も、SNSをやっていることを公言しても、どんなアカウント名でどんなことを発信しているかは、よほど限られた人しか話していません。バレたらバレたで、まぁいいかという感じ。なので、私にとってのSNSは、それこそ「ビスケット」のような密告なのかもしれません。自己表現とその微妙な距離感が交錯する場所のような気がします。