ショートソング=短歌ということでたくさんの短歌が登場するのですが、著者の枡野浩一氏をはじめすべて実在している歌人の短歌が登場人物の作品として使われています。解説は、宮藤官九郎氏。
短歌というと、とっつきにくいというかマイナーなイメージがあるかもしれませんね。私も短歌をやり始めたときは、やっている人はそれほどいないのだろうと思っていたのですが、表立っていないだけで水面下では意外にメジャーだったりします。
特に、ネットとの相性は非常にいいみたいでTwitterとかインスタなどでは驚くほどたくさん投稿されているんですよね。そして中には、著者でありマスノ短歌教の教祖・枡野浩一氏の「かんたん短歌」の影響を色濃く受けたと思われる作品も数多く見受けられます。
加藤千恵さんや天野慶さん、他にも佐藤真由美さんや佐々木あららさんといった著名な歌人が枡野浩一氏に見出されていますし、現代短歌においてその影響力は絶大です。
今時の言葉でライトでポップ。七五調なんだけど、なんだか短歌っぽくない・・・けど、散文とは違ってやっぱり短歌・・・。短歌に興味がなくても、読めばこんな短歌の形もあるのかと新鮮な気持ちになるのではないかと思います。
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憧れの須之内舞子先輩に連れられて、わけもわからず短歌結社・ばれんの歌会に参加することになった国友克夫。その歌会でいち早く克夫の才能を見出した、舞子の彼氏であり歌人の伊賀寛介。
日本とイタリアのハーフでかなりのイケメンだけどまともな恋愛経験がなくチェリーボーイの克夫と、眼鏡の似合うモテ男で浮気性の伊賀。対照的な二人の視点で、物語は進んでいきます。
先にも述べたように、作中では実在する歌人の短歌が登場人物の作品として使用されています。そのためどうしても短歌の内容に沿うよう、短歌ありきで物語が進められていて「この短歌のためのこのエピソードなんだな」と感じることがしばしば。
どうせ書くなら、小説のためのオリジナル短歌で勝負したほうがストーリー的にはもっと自由で面白いものになったのではないのかなと正直思ったけど、そうしなかったのは短歌ありきの縛りによってどこまでできるかという挑戦でもあったのかなという気もしました。
「政治家になる人たちは政治家をめざしてしまうような人たち」
「政治家は大なり小なり政治家になろうと思うような性格」
国友くんが上記の2首のうち、どちらの短歌を選ぶべきか迷って伊賀さんと舞子先輩に相談する場面があるんです。伊賀さんの答えは「『大なり小なり』が字余りで八音になってるし、もたついてるかな。おれだったら自分の気持ちに近いほうを選ぶよ。傷がない歌よりは、俺のたましいが傷つかない歌を残す」
・・・こんな風に短歌について議論を交わしたり、切磋琢磨するような場面がもっとあるのかなと思っていたのですが、恋愛エピソード中心でそんな感じでもなかったです。
私だったらどちらを選ぶかな、どうするかなと考えてたどり着いたのは、『大なり小なり』をすっきりさせて「政治家は多少なりとも政治家になろうと思うような性格」でした。
また登場人物の名前が五百田案山子(いおた かかし)とか笹伊藤冬井(ささいととうい)とか変わっているなと思ったら、それぞれ著名な歌人のアナグラムになっていると後で知りました。
主人公の国友克夫(くにもとかつお)は「塚本邦雄(つかもとくにお)」のアングレムで、国友くんが憧れている須之内舞子(すのうちまいこ)は「枡野浩一(ますのこういち)」のアナグレム。ちなみに、五百田案山子(いおた かかし)は「岡井隆(おかいたかし)」、笹伊藤冬井(ささいととうい)は、「斉藤斎藤(さいとうさいとう)」のアナグレム。・・・なるほどねぇ。
あっ、あと、舞台が吉祥寺なのですが実在するお店がいくつか登場しています。お洒落なカフェがたくさん登場していて、吉祥寺周辺に詳しい方ならより楽しめるかも。
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では最後に、解説・宮藤官九郎氏の解説短歌で締めくくりたいと思います。
吉祥寺 石を投げれば童貞か、枡野か宮藤 楳図に当たる (宮藤官九郎)