集中力がなく片時も目が離せなかったり、何をするにもやりっぱなしでどこまでも手を煩わせたり、夢中になると他のことにはどこまでも無関心だったり、待つことができず思い通りにならないとも癇癪を起こしありえないぐらい泣きわめきぐずつく、何度も繰り返される同じ問いかけ、弟への執拗ないじめ・・・。

 

誰もがそういうものなの?当たり前のこと?・・・でもどこか違う・・・何かが違う・・・なぜ・・・どうして・・・。

 

気さくで頼もしい外とは違って家の中では何もかもが自分中心のご主人の圭一さんと、気分屋で程度を知らない周平くんの言動に感じる違和感。表の顔、一番身近にいる自分にしかみせない顔。理解のない家族への苛立ち、嫁ぎ先での嫁としての立場。

 

それについて自分はどのように感じてそれによってどんな行動をとったのか、その結果どのようになったのか。そのときの様子が読んでいる側もその場でいて見ているかのごとく鮮明に描かれています。この描写の仕方はとてもわかりやすくてすごいなと思いましたし、発達障害の問題を抱える家族や周囲の人にとって共感できる部分が大いにあり参考になるのではと思います。

 

引用した夫婦の会話は、夫である圭一さんの特性を顕著に物語っていると思いました。

愕然とした。生活に見合うだけの労働をしてお金を稼がなければ、この現実社会では生きていけない、その鉄則が彼の中にはない。そう思った。

そして、父親の役割。役割って、なにって・・・・・・。父親になって数年。この数年間。いままで圭一さんは周平たちに対して、自分はなにものだと思っていたんだろう。

「父親って・・・・・・子供が大きくなるために必要な衣食住をまかなわお金を稼いで、いっしょに遊んで、できないことは助けてあげて、しつけをして。成長を助けてあげるのが、親の役目でしょ?」

わたしは目を丸くしたまま、思ったことを返答した。すると圭一さんも負けずに目を丸くして、わたしに答えた。

「そんなこと、誰も教えてくれなかった・・・・・・」

センセーイ!ソノ問題ハマダ習ッテイマセーン!
しばしおたがいの顔を見あわせて、しばしおたがいに二の句が継げなかった。

 

***

 

筆者の今村さんはとある公共機関を紹介され、そこでまず障害とは何かという説明を受けます。簡単に説明すれば、脳や肉体の資質が伴わないために日常生活を送るうえで支障が出てしまう状態のこと。そのつまづきやすい箇所の違いによって読字障害や注意欠陥・多動性障害(ADHD)などといった名称がつけられています。

 

医師による正式な診断結果は書かれてはいませんが、圭一さんや周平くんは臨機応変に対応したり、イメージすることや察すること、感情のキャッチボールなどが苦手なアスペルガー症候群の可能性が高いのではないかというわけです。

 

じゃあ、その家族や周りの人たちはどのように向き合えばいいのか。その答えも本書には書かれてあります。それは「習慣の確立とそれを実行できたら褒めること」 紹介された公共機関で出会った三木谷さんの言葉です。

 

あなたがご主人と感情のキャッチボールをスムーズにしたいなら、おたがいがつまづかないようなルールを使えばいいんです。感情にかぎらず、伝えたいことはすべて、あなたとご主人、どちらもつまづくことのないルールで伝えあえばいい。

周平くんの子育てに関してもそうです。彼らは成長できないわけでも、上達したくないわけでもありません。そこに成長しやすいような環境が整っていれば、彼らは伸びていけるんです。

 

やっぱり感情で対処しようとしても問題解決は上手くいかないんだなということですね。わかっていても上手くできないことも多いのですが、ネットや本で調べるとかどこかに相談してみるとか論理的に動いていくことが大事なのだと思いました。

 

こういう問題って、身近な人に見せる顔とそうじゃないときに見せるときの顔にギャップがあって認識のズレが生じることも多いんですよね。あとがきは、本書を監修された専門医の広瀬宏之先生との対談が掲載されており、そのことを指摘されていました。認識のズレを軽減させるためにどう正確に上手く伝えていくかを考えると記録として残しておくなどの工夫も必要なのかもしれません。

 

発達障害であることを公表し「指示をするときは抽象的ではなく具体的に」など仕組みや環境をほんの少し整えてもらい、職場に上手く順応している方のドキュメンタリーを何度か観たことがあります。発達障害といっても千差万別でこのように上手くいくとは限りませんが、こういう情報がどんどん広まって「受け入れやすく」「馴染みやすく」なっていくといいなと思います。