昨日のことですが、仕事をしていたらどこからともなく「人生早送り」という声が聞こえてきました。もう6月だなんてあっという間という話の流れからみたいですが、そんな風に錯覚してしまうほど、月日というのは瞬く間に過ぎてしまいますね。

 

人間50年 下天の夢をくらぶれば夢幻の如くなりこの度生をうけ滅せぬもののあるべきか
人の世の50年なんてものは下天と比べればなんと儚いことよ

 

下天とは、四大王衆天、四王天とも呼ばれ、四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)とその一族が住まわれているところ。下天の住人の寿命は500歳で、人間界にとっての1日が50年にあたります。人間界の寿命に換算すると990万年。

 

少し調べてみたところ、仏教でいう天界にはランクづけがあるようで、下からだと欲界に6段階、色界に17段階、一番上の無色界に4段階あるようです。ちなみに一番上が「有頂天」

 

下天は、六欲界の中でも一番最下層で、ランクがあがるごとに寿命が長くなるようです。

  • 下天 寿命500歳 (人間界に換算すると990万年 人間界1日→50年)
  • 忉利天 寿命1000歳 (人間界に換算すると3600万年 人間界1日→100年)
  • 夜摩天 寿命2000歳 (人間界に換算すると1億4400万年 人間界1日→200年)
  • 兜卒天 寿命4000歳 (人間界に換算すると5億7600万年 人間界1日→400年)
  • 楽変化天 寿命8000歳 (人間界に換算すると23億400万年 人間界1日→800年)
  • 他化自在天 寿命16000歳 (人間界に換算すると92億1600万年 人間界1日→1600年)

 

こうしてみると天界人はとんでもなく長生きであり、比べてなんと儚いことよというのもわかります。

 

 

「人間50年」というと「本能寺の変」の織田信長を思い浮かべる方も多いと思いますが、それは信長が「人間50年 下天の夢をくらぶれば夢幻の如くなりこの度生をうけ滅せぬもののあるべきか」と幸若舞「敦盛(あつもり)」の一節を吟じ、舞を舞ったと言われているところからきています。幸若舞「敦盛」は、信長のお気に入りの演目でよく舞っていたようです。

 

1184年(元暦元年)(平家方の呼ぶ寿永2年)、治承・寿永の乱(源平合戦)の一戦である須磨の浦における「一ノ谷の戦い」で、平家軍は源氏軍に押されて敗走をはじめる。 平清盛の甥で平経盛の子、若き笛の名手でもあった平敦盛は、退却の際に愛用の漢竹の横笛(青葉の笛・小枝)を持ち出し忘れ、これを取りに戻ったため退却船に乗り遅れてしまう。敦盛は出船しはじめた退却船を目指し渚に馬を飛ばす。退却船も気付いて岸へ船を戻そうとするが逆風で思うように船体を寄せられない。敦盛自身も荒れた波しぶきに手こずり馬を上手く捌けずにいた。

そこに源氏方の熊谷直実が通りがかり、格式高い甲冑を身に着けた敦盛を目にすると、平家の有力武将であろうと踏んで一騎討ちを挑む。敦盛はこれに受けあわなかったが、直実は将同士の一騎討ちに応じなければ兵に命じて矢を放つと威迫した。多勢に無勢、一斉に矢を射られるくらいならと、敦盛は直実との一騎討ちに応じた。しかし悲しいかな実戦経験の差、百戦錬磨の直実に一騎討ちでかなうはずもなく、敦盛はほどなく捕らえられてしまう。

直実がいざ頸を討とうと組み伏せたその顔をよく見ると、元服間もない紅顔の若武者。名を尋ねて初めて、数え年16歳の平敦盛であると知る。直実の同じく16歳の子熊谷直家は、この一ノ谷合戦で討死したばかり、我が嫡男の面影を重ね合わせ、また将来ある16歳の若武者を討つのを惜しんでためらった。これを見て、組み伏せた敵武将の頸を討とうとしない直実の姿を、同道の源氏諸将が訝しみはじめ、「次郎(直実)に二心あり。次郎もろとも討ち取らむ」との声が上がり始めたため、直実はやむを得ず敦盛の頸を討ち取った。

一ノ谷合戦は源氏方の勝利に終わったが、若き敦盛を討ったことが直実の心を苦しめる。合戦後の論功行賞も芳しくなく同僚武将との所領争いも不調、翌年には屋島の戦いの触れが出され、また同じ苦しみを思う出来事が起こるのかと悩んだ直実は世の無常を感じるようになり、出家を決意して世をはかなむようになる。

 

 

 

さては、なんぢにあふては名のるまじゐぞ、なんぢがためにはよい敵ぞ。名のらずとも首をとって人に問へ。見知らふずるぞ。
ならば、お前にあえて名乗ることはしない。お前にとっては良い敵だ。名乗らずとも、この首をとって人に問えばわかることだろう。

戦死した我が子と同じ歳ぐらい若者(敦盛)をなんとか助けようと、直実がその若者に名を訊ねたときの敦盛の返し。

 

謀反の相手が明智光秀だと知ったときの信長が「※是非に及ばず」と自害したことは有名ですが、死を悟った敦盛の潔さと相通じるものがあります。自分に似たところがある敦盛にシンパシーを感じていたのかもしれません。