wikipedia
wikipediaより

 

生まれも育ちも東三河(愛知県東部)の私は、今も東三河で暮らしています。今川義元公といえば、かつてここ東三河を支配下にしていた人物。

 

尾張(名古屋)を治めていた織田信長の父・織田信秀が三河を侵略し、今川勢はこれを阻止しようとしたけど失敗。これが第一次小豆坂の戦いと言われるやつで、 次の第二次小豆坂の戦いでは、今川軍が三河国安祥城を攻略して勝利します。このとき三河出身の松平元康(のちの徳川家康)が、今川の人質になっていたことは有名です。

 

「義元の矛先には魔物だろうと鬼だろうとかなうまい」

そうタカをくくっていた今川義元は、永禄3年5月19日(1560年6月12日) に桶狭間の戦いで織田軍に破れ、命を落としました。

 

もしも第二次小豆坂の戦いで今川軍が破れていたら。もしも桶狭間の戦いで今川軍が勝利していたなら。ここ東三河は今の姿とは大きく変わっていたかもしれませんし、もしかしたら私はこの世に生まれていなかったのかもしれません。歴史とは不思議なものですね。

 

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昨日なし明日またしらぬ人はただ今日のうちこそ命なりけれ 今川義元
昨日のことも覚えておらず、明日なにが起こるかわからないようなヤツは今日までの命である
昨日のことは過ぎたことであり、明日はどうなるかわからない。今日こそがすべてである。

 

意味としてふたつの説があるようです。

「過去の経験を活かそうともせず、先のことまで考えられないようではダメ」「過ぎたことや先のことよりも今がすべて」どちらも真理をついています。