こちらの地方ではソメイヨシノはすっかり散ってしまいましたが、八重桜が綺麗に咲いています。遠くからだとポンポンみたいな丸っこいフォルムが可愛らしくて、近くで見るとした八重の花弁がこんなにも美しいことに毎回ㇵッとさせられます。

 

伊勢大輔は、「三十六歌仙」であり「梨壺の五人」である大中臣能宣朝臣の孫であり、紫式部と同じく中宮・彰子に仕えていました。当時の京都では、八重桜はとても珍しいもの。古都・奈良から京都の宮中へ八重桜が届き、受け取り役に選ばれたのが伊勢大輔。そのときに藤原道長の命により詠まれたのが掲出歌。元々の受け取り役は紫式部であり、宮中に仕えたばかりだった伊勢大輔のために譲ったとも言われています。

 

代々伊勢神宮の祭主を務める大中臣家は、数多くの優れた歌人のいる一族でいわゆる超エリート家系。新参者の伊勢大輔にとってプレッシャーも相当だったでしょうが、さすがは大中臣の家の血を引くサラブレッド。「けふ」は“今日”と“京”と掛けられ、「九重」とは “宮中” と“この辺り” の意。つまり掲出歌には、2つの掛詞が使われています。さらに「いにしへ」と「けふ」、「八重」と「九重」がそれぞれ対になっているという見事な技巧を凝らし、無事に大役を果たしたのでした。

 

 

 

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