フェルメールといえば、やっぱり「フェルメール・ブルー」とも呼ばれる、ラピスラズリの鮮やかな青が印象的です。でも、ここで求められているのは青空ではなく「雨」。そこに惹かれる気持ち、すごくわかります。フェルメールの作品の中に「デルフトの眺望」という作品がありますが、水面の描写がものすごく美しくて、雨の描写もとびきり美しいだろうなと思うのです。

フェルメールの光には、ただ明るいだけじゃなく、ものの輪郭や質感を際立たせるような独特の美しさがあります。フェルメールがもし雨を描いていたなら、きっとただの陰鬱な風景ではなく、透明感のある光を含んだ雨になっていたのではないでしょうか。雨粒が落ちる瞬間や、濡れた石畳に反射する淡い光、室内からぼんやりとにじむ外の景色…。
「フェルメール雨を描きてほしかりき」に触れるまでは想像もしなかったけど、「けだしや透きし肌透くほどに」を想像してしまったなら、光と水が溶け合うような雨の風景を見てみたい欲求が高まります。
私が思い描く「フェルメールの雨」は、光の透ける天気雨のようなイメージ。柔らかな日差しの中で、雨粒が光をまとって降りてくるような。そんな雨そのものを輝かせるフェルメールの筆づかいが浮かんできます。けれど鉛色の空の雨も、フェルメールの落ち着いた色彩や、陰影を活かした描写なら、どこか静かで奥行きのある雨になりそうです。湿った石畳、濡れた服の質感、沈んだ空気のなかにほんの少しの光が差す感じ… 。想像するだけで美しいです。