「悲しみのほむら燃ゆる」方へと「色立つ」と考えれば、この場合の「色たちてくる」は、濃くなるのではなくその逆のような気がするんです。カタクリの花が大好きで、毎年のようにその可憐な姿をレンズに収めているのですが、実際すぐに色が薄くなりがちいうか白っぽくなってしまいますしね。

 

見頃のはずが、天候によって花びらが閉じてしまったり反り過ぎたり、よくよく見ればもうすでにピークを過ぎていたり。一面綺麗に咲きそろうということは滅多になく、なんて繊細で儚いんだろうと毎年のように思うのですが、そこも含めて会いたくなる花。

 

悲しみのほむら燃ゆらせるのは、どの花よりも感受性が強く傷つきやすいからなのかも。風に揺れるうす紫の焔は、光に透けながら優しい色をしていました。