宇宙短歌というのをご存じでしょうか。2017年は、松山にゆかりのある正岡子規が生誕150周年にあたりました。その年に「宇宙技術および科学の国際シンポジウム」が松山市で開催されたということで、宇宙飛行士の向井千秋さんが詠んだ「宙がえり 何度もできる 無重力」の下の句を募集するというイベントが行われたのです。

 

14万5千首もの応募があったそうで、

一般の部『湯舟でくるり  わが子の宇宙』
小中学生の部『水のまりつき  できたらいいな』

という作品が受賞されています。

 

そんな宇宙短歌にまつわる、興味深い記事を発見したのでシェアしたいと思います。
電脳筆写『 心超臨界 』読むクスリ 《 「宇宙短歌」秘話 》

 

 

「シャトルという一種の極限状態の中でこの句を考えた向井さんを、素晴らしいと思います。それにしても、なぜ短歌を? と思いませんか。今だから話せるのですが、宇宙で短歌をやろうよ、というのは、じつは、向井さんと私が密かに示し合わせたことだったのです」

と思わぬ秘話を打ち明けるのは、NASDA(宇宙開発事業団)特任参与の寺門邦次さん。

話はその前年にさかのぼる。1997(平成9)年5月、国際宇宙ステーション計画に参加しているアメリカ、ロシア、日本などの宇宙機関の長官が筑波宇宙センターで一堂に会し『宇宙機関長会議』が開かれた。「私は当時NASDAの総務部次長で、広報担当責任者としてこの会議に出席していました」

 

初日の朝、冒頭に挨拶に立ったのは、アメリカNASA(航空宇宙局)のダニエル・S・ゴールディン長官(当時)だった。
「私たちは多くの苦労を乗り越え、今日、実りのある会議を迎えました」
話し始めた長官は、こう続けた。
「今の心境はまさに『漕ぎ抜けて 霞(かすみ)の外の 海広し』という日本の歌で表現できるでしょう」
『漕ぎ抜けて……』の部分は日本語だった。出席していた日本側の関係者は、びっくりした。俳句らしいが、聞いたこともない。それをアメリカのNASA長官が、すらすらと引用して見せたのだから。
「とりわけ広報責任者の私は仰天しました。長官が句を持ち出したからには、こちらも句でお返しをしなければならない。ととっさに判断したのですが、それにはまずこの句の正体を突き止める必要があるのです」

 

午後の最初に、日本側を代表してNASDAの内田勇夫理事長(当時)が挨拶することになっている。そこで句を返したい。それまでに間に合うだろうか。

 

『漕ぎ抜けて  霞の外の  海広し』は正岡子規の句。

 

結果的に各国の協力で力強く推進していきましょうという意志を示す『藍とうとうと  流れ合いたり』という下の句が生まれ、その感動的な体験がきっかけとなり、向井千秋さんの「宙がえり 何度もできる 無重力」誕生へとつながっていきます。

 

私が下の句を詠むとしたら・・・と考えて、できあがったのがこちら。

宙がえり 何度もできる 無重力 
錆びつく棒が  天地を返す

 

小学校の頃とか鉄棒はわりと得意なほうで、逆上がりとかクルクル回っていました。それから何年後か経って、ひっさしぶに鉄棒をやってみたらできなくなっていて、めちゃショックだったのを思い出します^_^;