ほとんど水でできている人類。その人類にある水分が霧になったのなら、連想されるのはミイラです。古代エジプトでは、棺のミイラと供に「死者の書」というのが納められていました。古代エジプト宗教では、死者の魂は「死者の裁判」にかけられ、死と復活を司る「オシリス」という神様によって、再び人間へ復活できるのかどうか判断するとされています。人間へ復活するのに必要なのが肉体で、そのためにミイラが作られたというわけです。

 

『資料集』というと、生き様を清算するための資料、すなわち「死者の書」あるいは閻魔様の「閻魔帳」なんかを思い浮かべたのですが、死後にもし自分の行いが清算されるとするならどうなるんだろうということはたまに脳裏をよぎったりします。

 

全身麻酔の手術をしたことがあって、あまりにも「無」で一瞬にしか感じられなかった経験から、死後というのはただの無でしかないのだなと身をもって体感したと思ってはいるんです。死後の世界も裁判も存在しないと言ってしまえばそれまでだけど、本当に“霧”となってしまうだけなのかと問われればそれは違うような気がしていて、亡くなってしまった大切な人はやはりどこかで存在していると本気で信じている自分がいます。考えてみれば、死後の裁判というのは何も冥界に限ったことではないですね。残された人間によって語り継がれたりするわけだから。

 

人類が積み上げてきた“資料”の山を、我々は「歴史」と呼んでいるのかもしれませんね。