新語というのは、どうしてもその時々のノリや空気感に寄り添う砕けたものが多く、言葉に対して敏感で深くこだわる人ほど、一歩距離を置きたくなる印象があります。特に、言葉を「生業」としているのなら尚更、流行語や軽いニュアンスの新語が持つ一過性や粗雑さが気になることも多いんじゃないかなと思うのです。
けれども、新語の砕けた感じを面白がれる視点や、空気感を敏感にキャッチし、それを「ほどほどの切れ味」で切り込めるセンスと柔軟さこそが、俵さんの歌風である現代的な軽やかさに繋がっているように思うのです。相応のセンスがなければ「ほどほど」で切り込むことはできないわけで、新語を巧みに扱うには「ほどほどの切れ味」を持つセラミックナイフのような感覚が必要ということなのでしょうね。
錆びにくくて軽量であるのが特徴のセラミックナイフは扱いやすく、新語の使いやすさや親しみやすさを象徴しているようです。一方で、セラミックには壊れやすいという性質もあり、移り変わりの激しい新語の脆さや一過性を暗示しているとも受け取れます。
言葉は生き物のように変化を続けるもの。新語を使う際には「ほどほどの切れ味」を意識して軽やかに遊び、ここぞというときには鋼のような切れ味でスパッと決める――。そんな絶妙な遊び心と鋭い洞察とのバランス感覚で、現代の空気感を捉えているからこそ、「セラミックナイフ」という比喩に繋がっているのだと感じます。