南天の実が象徴するのは、生命力や鮮やかな色の持続です。今年の正月花は、鮮やかな赤い実がひときわ目を引く南天と千両を中心に飾り付けました。その赤い実たちは、年の初めにふさわしい明るさと生命力を感じさせます。

 

 

掲出歌が投げかけているのはそれがいつまで保たれるのかという疑問であり、自分自身の生の曖昧さや惰性で生きることへの自嘲、あるいは無力感が込められているようにも感じられます。「ずるずる」「いつまで」には、時間の移ろいや自分自身の衰えへの意識せざるを得ない鋭い響きがあり、「いつまで紅くいられるの?」と問われているようで、胸に刺さるような感覚を覚えます。

 

少し気になったのは、鳥などに食べられることなくという受動的な表現ではなく、「食べずとも」にしたのかという点です。しかし、よくよく考えてみると「食べずとも」という表現によって、単なる生態的な描写を超え、哲学的な問いかけや詩的な広がりが感じられます。赤い実が生態系や生命のサイクルにおいて重要な存在でありながら、「誰にも食べられないまま存在し続ける」という無駄さやアイロニーが含まれているように思えます。そのため、「いつまで」という問いがより際立ち、孤独感や虚無感を強く感じさせる表現となっています。

 

今でも、南天や千両の赤い実は色鮮やかに玄関を彩り続け、「食べずともずるずる生きてゆきさうな」という表現の通り、時間の流れに抗うかのようにその存在感を保っています。「いつまで紅い」を確かめるように見守っていたい、鮮やかな赤が色褪せるまで飾っておきたいという気持ちが強いですが、少なくとも15日まではこの美しい正月花を楽しもうと思います。