「半年たったんか」感想まとめ、卯月篇です。
要するに死んだ花だろ 花筏見下ろし二人歩き出す春 笠原楓奏
何年か前に、岩倉の五条川の桜まつりにいったんですけど、ハラハラと散る満開の桜の下で、たくさんの花筏がゆらゆら揺れてものすごく綺麗で感動したことがあります。花筏があってこその感動でした。その景色を思い出しました。
室外機やさしく唸るベランダで会えない冬を見下ろしている 千原こはぎ
「やさしく」の部分に、どのような形容詞を持ってくるかで想いの伝わり方が変わってきますね。例えば「せつなく」だったら恋愛要素が強まり、ベランダで想いを馳せているのは遠距離恋愛中の恋人なのかなとか想像します。「かなしく」だったら、会えないことへの嘆きがより切実に伝わる感じ。「やさしく」は、「今頃、何しているのかな」と懐古しているニュアンスをより強く感じます。あと他でもない「冬」を見下ろしているというのが巧いです。
校庭の砂を足で履く先生の手からしゃらりとパール吐く象 綾川あすか
「パール吐く象」ってどういうことだろうと思って、最初は指輪のことかなと考えました。その先生に交際相手がいて、もしかしたら結婚を控えていたりするのかなと。でも「ちらり」ではなく「しゃらり」だから、もしかしてブレスレットの類なのかも。
生きるとは愛とは言葉とは 答えは出ない「追いだき」を押す はとサブレ
バスルームで答えのない問いをぐるぐる巡らせている・・・私もよくあります。「追いだき」のフレーズのみで、場所と時間経過を表現しているところがいいですね。
ささやかなわたしのうべなささげますうべなうべなと泣くあなたには 若旦那
「うべな」という言葉を持ってくるところが憎いですね。言葉をたくさん知っていないと、こんな風に表現したいことをスマートに言語化することはできないです。なかなか出てこないですよ、うべなは。
障害児産んで変わった運命を独り飲み込む老いたる母は 菊池洋勝
一時期、事務員として福祉施設で働いていたことがあるので、似たような境遇の親御さんを見てきました。そして、そのバッグラウンドでは同様に「きょうだい児」としての運命を飲み込んでいる兄弟姉妹がいたりするのでしょう。運命を飲み込んいるのは“母”だけではなく“あなた”自身もですよね。
平凡な暮らしのなかへ射してくるひかりに父はいちいち気づく まるち
いちいち気づけることが素敵!! 気づこうとしてアンテナを張っているから気づけるんでしようね。そういう人が幸せになれるのだと思うし、そういう人に私もなりたいです。
とれかけのボタンみたいに社会から半歩乗り出すわたしの身体 荒地識
それでもいろんな人が糸を渡して支えてくれたおかげで、何とか必死にしがみついて生きています。(笑) 常々思うのは、行政とか支援とかひっくるめた今の世の中って、何もしなければ何も知らないまま取り残されてしまうんだなということです。“ボタン”がとれないためにも、時には手足を積極的に使って情報を掴むことも必要なのかもしれません。私なら「乗り出す」のところを、「はみ出す」にするかな。どちらが正解とかはないんだけど。
夏に咲く花の名前をひとつずつ唱へてをりぬ父となるひと ともえ夕夏
夏に生まれる予定なのかな。夏に咲く花の名前といえば、向日葵ちゃんとか百合ちゃんとかかな。名前って、それによってその人の印象が決まっちゃうから大事ですよね。
私には雨が誰より似合うのでふられるたびに傘を買います 澪那本気子
ふられたら髪を切るとか、辛いものを食べるとかいろいろあるけど、傘を買うというのは初めてかもしれません。なぜに“雨”が誰より似合うと思うのでしょう。
ほうせんか、ほうせんかって呟けば花の名に似た方言に聞ゆ 吉村奈美
ほうせんか・・・なるほどそう聞こえますね。〇〇しなさいの意味で「〇〇せんか」という方言ってありますしね。(笑) こっちの三河弁の言い方だと、「〇〇せりん」になります。でも最近は、年配の方以外ではあんまり使う人もいないかな。
平成が終わって何を思うだろう父とさよならしたことだとか 衣未
まだ平成が終わる前の作品ですね。そのときにしか詠めない短歌。やっぱり同じようにその時に何を思うのだろうと思ったし、新しい時代が訪れるそのときはいろいろなことを思い起こしていました。
アルコール除菌ティッシュで液晶を拭けば降り出す虹色の雨 織部壮
確かに、日の射し方によっては拭いて濡れた部分が虹色がかることがありますね。気にも留めないような、些細なところからでも素材は転がっているという見本のような一首。
友だちの友だちくらいの距離感でダビデ像と向き合ってみる 若紫音佳
「あっ、どうも」ぐらいの距離感。ダビデ像は真正面よりも、正面下から見たときにちょうどバランスよくなるようにできているんですよね。なので、それくらいの距離感がちょうどいいのかもしれません。
飴あれば配りたかったバス待ちの大蛇のうろこである者同士 笠和ささね
人の列が蛇に例えられることはありますが、さらにそこからズームアップし、その一人ひとりがうろこの一部だとそこまで比喩されているのは斬新だと思いました。
天国で笑っていると皆が言う骨ごと焼いてしまったひとを 滝川和麿
天国で笑っていると皆が口々に言っているという事実だけで、温かな人柄だったのだろうなと想像できます。
ハロー僕、つらいつらいねあの夜にスポンジケーキひとつ送るよ さはらや
穂村弘氏の「ハロー 夜。 ハロー 静かな霜柱。 ハロー カップヌードルの海老たち。」へのオマージュが含まれているのでしょう。ただ、穂村氏の場合は「夜」「霜柱」「カップヌードルの海老たち」と名詞が続くのに対して、つらいつらいね・・・と語りがけが続きます。スポンジケーキということは、誕生日につらい出来事があったのかなと想像しました。
ごーごーと冷蔵庫から流れてる夜の泣き声ばかり聞いてる 篠宮つがる
blogとか短歌を詠んだりだとか、静けさのある夜の方が集中できるタイプです。そして、寝るときになって響いてくる冷蔵庫の音とか時計の音とかは苦手です。雑音に敏感なタイプ。(^^;) 夜が泣いているのか・・・。
カマクラで同棲しよう(いいじゃんか春にはどうせ消えちゃうんだし) 轟美咲
「一緒に暮らしたい」という本音をちらっと織り交ぜながら、「いいじゃんか、カマクラなら春にはどうせ消えちゃうんだし」と軽くノリで言ったテイにすることで、本心じゃなないよという逃げ道を用意したのかなと解釈しました。カマクラの中って意外と暖かいっていうけど、やっばり寒いよね。(^^;)
会場に居場所はなくて浮き沈みしている氷に想いを馳せる まらけしゅ
その会場でどういった催しがあつたのかはわかりませんが居場所はなく、氷上に立っている(ような状況の)自分がいて、その氷の浮き沈みに想いを馳せているってことなのかなと解釈しました。
ニギハヤミジャンボ市街地コハクヌシたしかあなたはそんな名前の 眞子和也
「千と千尋の神隠し」がモチーフになっていますね。ニギハヤミコハクヌシ(ハク)は、「コハク川」という川の主だったけどその川の埋め立てによって居場所を失い、湯婆婆の手下になったんですよね。そのコハク川があったあたりは、今や「ジャンボ市街地」になっているという空想ファンタジーなのかなと思いました。
何年も馴染みの服を着るきみの馴染みの人になっていくころ 朧
馴染みの人になっていくほど、距離感を掴むのが難しくなっていくものですが、長く付き合っていけれるようないい関係でいられるといいですよね。そんなことを思いました。
ひとばんで君に詳しくなった日のそれより前のきみと会いたい ひろうたあいこ
意気投合して直接話を聞いた、ネットで調べまくった・・・ひとばんで“君”に詳しくなった経緯はいろいろ推測できます。でも、たとえ“君”のことについてどんなに詳しくなったとしても、2人が出会う前の“きみ”に会うことは叶いません。もっと早くに出会いたかった・・・。私も好きな人に対してそう思ったこと何度もあります。
愛、書架と書庫に一冊ずつあると知つたからにはどつらも借りる 雀來豆
例えばですけど「愛、書架と書庫のどちらにもあると」みたいな言い回しなら、双方にある「愛」を借りるみたいな意味にも受け取れて、またちょっとニュアンスが変わってくるのかなと思ったんですよ。でも、この場合は「一冊ずつ」とあるので、シンプルに「愛」という名の本を借りるということでいいのかな。
事故現場を呪術のように取り囲む赤いコーンのAAAA 本条恵
呪術(笑) ・・・あっ、でもわかります。あの赤いコーンが、現場を余計に物々しい空気にさせてますよね。そうじゃなきゃいけないんだと思いますけど。赤いコーンをAAAAと表現するのは斬新ですね。
もう今は歩けるでしょう祖父のいた部屋の隅には空色の杖 岡田奈紀佐
部屋の隅にある空色の杖が、「もうそろそろ前を向きなさいよ」と背中を押してくれたのですね。空色の杖というのがなんとも素敵。
ただ君が一生思い出し笑いできる世界でありますように 宛名
振り返った時に、クスッと思い出し笑いできるような思い出をいっぱい作れたら素敵ですね。大切な人にはそのような幸せな人生を送ってほしいし、そういう世の中であってほしいと私も思います。
反射鏡みたいなみどり 君はまだ太陽以外の赤を知らない 早瀬ちの
「みどり」は、「赤」の反転色(反対色)として有名です。つまり、反転させることで「赤」になる可能性を秘めているのが「みどり」・・・すなわち「みどり」とは内に秘めた君への恋心なのでかもしれません。
まいにちを一人でねむるまいにちを一人でおきる 龍になりたい くわい
「まいにちを一人でねむるまいにちを一人でおきる」ことと、龍になりたいことがどのようにつながっているのかが正直よくわかりませんでした。龍になるとはどういうことなのかも。でもどういうわけか、字面を見ていると「龍になりたい」が際立って魅力的に感じるから不思議です。
白梅の薫り似合わぬあのひとが現れそうな春の雪の陽 京黒玲
情緒的な一首。少々季節外れの春に降った雪に光が射してキラキラして・・・幻想的です。幻想的な光景を目にすると、向こうから神々しい何かが佇んでいるような気になるのは、私だけではないと思います。たぶんそれが“あのひと”なのでしょうね。
そうやってたかが硝子の一枚で結束力を殺す天窓 水没
なぜ硝子の天窓が、結束力を殺すことになるのか考えてもよくわかりませんでした。どういうことなのだろう。ひょっとして脱出ゲームってこと?
逃げ出さんばかりに伸びる豆苗の勢いわがものにすべく食む 谷古宇樹
根の部分を残しておけばまた生えてる・・・本当に生命力が強いですよね。しかも栄養価が高くて安いから、困った時の豆苗というぐらい個人的には重宝しています。
青すぎる空とあなたと風と海これでもかって詰め込んだ夏 ガイドさん
具体的にそこで何があったのかの描写はなくとも、最高の夏だったことはわかります。(*^^*)
しづみゆくしずくしずかにいずくかに咲き匂ふらむ蓮のありけむ 田上純弥
最初の語句が「し」「し」「し」と続くところは調べが綺麗だしリズムがあっていいと思います。
水面に生まれた空を飛び越えてスカートが舞う夏のスイッチ 草太朗
水たまりをひらりと飛び越える快活な女の子が目に浮かびます。「空を飛び越えて」「夏のスイッチ」の言葉のチョイスが秀逸。
スコールを降らす夜空を眺めおり気泡溶けゆくハイネケンは 沖田薫
ビール片手に「よく降るなぁ」と空を眺めている情景が浮かびました。ビールは飲まないけど、同じように雨の降る夜空を眺めることが多いこのごろ。これを書いている今がまさにそうです。
鳩のでるてのひらをもつマジシャンになれぬわたしのてのひらに雪 はね
てのひらのことじゃなくとも、もっと別の情報を加えることだって可能なのに、わざわさざ「鳩のでるてのひらの・・・」とわざとまどろっこしい言い方で責めてくる感じ。木下龍也氏の「鮭の死を米で包んでまたさらに海苔で包んだあれが食べたい」という有名な一首を彷彿とさせました。技量がないとなかなかできないことだと思います。
猫が寄るわたしの家の表札はかまぼこ板の疑いがある 久保哲也
面白くて好きです。(笑) 「かまぼこ板の疑いがある」は、なかなか出てこないフレーズ。例えば、私が同じことを詠んだとするなら「決まってそこにいるペルシャ猫」とかやりがちだなぁと思ったら、もっともっと精進しなきゃという気になりました。
それはただの春風だった 背表紙のとおりふたりのページがひらく 望月万里菜
「それはただの春風だった」は背表紙のタイトルなのかな?それともページがひらいた(物語がはじまった)のは、春風がいたずらに吹いたからという比喩?・・・どんな物語なのだろう。