「半年たったんか」感想まとめ、皐月篇です。

 

皐月

 

自死すると生きかえれない五月闇くすりがそばにあるのはこわい 一ノ瀬礼子

あると手を伸ばしたくなるのが心情ですからね。「五月病」などではなく「五月闇」としているところに、文字通り「闇」を感じさせます。でもちゃんと「こわい」と思えているうちは、迂闊に手を出さないようブレーキが働いている証拠なのだと思います。そう思えなくなったときが、本当の意味で「こわい」です。

 

にんげんに追われた蜘蛛は幻燈のアンドロメダに住処を探す 水無月水有

人間に追われて住処を移す生き物は、他にもたくさんいそうです。あっ、蜘蛛は人間が追っ払ったところでめちゃくちゃしぶといですが。(笑)

 

ゆっくりと走る長女と早く歩く次女と動く歩道の三女 結江里香

三姉妹の長女なのですが、三者三様それぞれ性格がてんでバラバラ。三姉妹ってそんなもんですかね。ちなみに私は、どれでもない「ゆっくり歩く」タイプです。(笑)

 

さくらばな踏みしめながら浴びながら駐輪場の鍵を開いた ソウシ

「踏みしめながら浴びながら」の韻律が好きです。さくらばなが舞っている場所はまさにそんな感じですね。駐輪場という響きが、新年度が始まったばかりで浮きだっている空気感とマッチしています。

 

点描にひかりのいろを置くやうにうつくしかつたきみばかり詠む 高野蒔

「うつくしかった」ということは、現在進行形の“うつくしいきみ”がもうそこにいないことを意味しています。どのような想いで、ひかりのいろを置くように“うつくしいきみ”の面影を辿っているのでしょうか。

 

全身の七割くらいは水らしいそのうち二割は君に使った おり

それくらい“君”のために感情が揺さぶられて、泣いたりしてきたんだよということですね。「“君”のために感情が揺さぶられて、泣いたりしてきた」を伝えるために、体内の水分を二割使ったと表現するのは巧いやり方だなと思います。

 

きれいごとだっていいのよ介護士は嘘をふくんだマスクを捨てる 宮下倖

きれいごとだけじゃ済まないのが介護だし、きれいごとがなければ成り立たないのが介護ですよね。「やさしい嘘」というのも世の中にはあります。「マスクを捨てる」という動作で終わらせるところが巧いです。

 

のんばーばる・はれるや こんな黄昏をふたたび浴びることもあるまい 伊豆みつ

のんばーばる(ノンバーバル)とは、言葉を用いらない非言語を意味します。それほど心に刺さる黄昏の光景だったのでしょうね。カタカナや英語より、ひらがなの「のんばーばる」のほうが下句との雰囲気やバランスとも合っています。

 

落ちたのだと解る骨が川底の自転車みたいに解けていって うさうらら

身も心もすべてを委ねてふと力が抜けた瞬間を「落ちた」と表現したのだと思うのですが、その比喩に誰も考え付かない「川底の自転車」を用いたところに面白さがあります。

 

やさしくは抱いてくれないぺらぺの君の布団を知ってしまった しずか

知ってしまったからにはもう戻れない・・・って、そこまでは詠まれていないけど、そういうことなのかなと。布団が「ぺらぺら」なのが、素朴な一人暮らしを連想させました。

 

かかとからストッキングが伝線しすこしわたしがこぼれてしまふ 有村桔梗

ストッキングが伝線してしまい、そこから「生身」の“わたし”がちらりと顔をのぞかせたという意味もあるかと思いますが、思わぬハプニングにすこし「素」が出てしまったといった意味もあるのかもしれません。

 

半雲を西へたどれば君はあの空色のコート脱いでいるころ つだみつぐ

「西」へ向かうほど、「空色」を脱いで「夕焼け色」に染まる空・・・。それと「空色のコートを脱いでいるころ」が、絶妙にマッチングしているところがいいですね。雲の描写を「半雲」としているところも素敵です。

 

魂の降る場所としてそこにある中央分離帯のアネモネ 坂中茱萸

その中央分離帯で誰かが交通事故で亡くなっており、アネモネが手向けられているのでしょうか。「魂の降る場所」というのはそういうことなのかなと。中央分離帯といえば、黄色いオオキンケイギクがいっぱい咲くのですが、あれって特定外来生物なんですよね。いつの間にやらいっぱい咲くようになってその繁殖力に驚きます。見ている分には綺麗ですが、生態系に影響を及ぼすとあっては困りものです。咲いているのが、アネモネだったら良かったのかもしれません。

 

きみがすき 他はどうでもいいんだと 白身を捨ててご飯にかける ディポンジュ

“君”と“黄味”を掛けているのは明白ですね。(笑) “きみがいればそれでいい”って、ラブソングでは常套句。なんだけど、“きみ”以外どうでもいいからと、白身を捨てちゃうところが大胆。現実的には“きみがすき”なだけじゃ生きてはいけないけど、これくらい引っ張っていってくれる人は嫌いじゃないです。(*^^*)

 

月面で読むにはちょうどいいでしょう重い重いと言われた手紙 君野シリウス

皮肉が効いています。(笑)  どのように重いのかはわからないけど、例えば出産のリミットだとかを踏まえて、現実問題として「重い」話をしなければならない場合もありますからねぇ。そういうところで「重い、重い」とはぐらかされたら、やっぱりちょっと悲しいですね。

 

お願いです手垢のついた人型に押し込めないで痛いし狭い ふらみらり

人間とはこういうものだという倫理でがんじがらめにしないで・・・。何が正しくて何が間違っているのかは、結局は人間の主観でしかないから難しい部分があるけど、ギュウギュウと無理やり押し込められたら痛いし窮屈ですね。それも時代にそぐわないような手垢まみれの古い価値観なら尚更のこと。

 

タンポポは強く揺らすな 綿毛にもそれぞれ好きな風があるから 手乗り心臓

どの風に吹かれてどこへ向かうのか・・・。「ほら、あの風に乗っていけば間違いないから!! 」・・・いや、ちょっと待ってよ。それじゃないんだって。そういうの自分で決めるから。自分の中のタイミングだってあるし。 思春期のころなんかは特に、そんな風に反発しちゃったりすることもあったりしますね。

 

三列のうち一列がHOTからCOLDとなり自販機の春 手阪誠記

まだ全部がCOLDになるには早すぎるそんな時期。三列のうちの一列というのがリアルですね。今年は冷夏だから、自販機の売り上げにも影響しそうですね。

 

短歌論ぱたんと閉じる 阪急の車掌が俺よりずいぶん若い 袴田朱夏

「短歌論ばたんと閉じる」と上句のフレーズが一気に置かれているので、リズムがすごくいいです。「短歌論」を読んでいる時点で、ダンディーなオジサマが脳裏に浮かびました。

 

明日こそしゃんと並べる身体ありふっくらとした倫理をまとう かさね

「並べる」というのは、「個」である自分が「らしく」いられるという意味なのかなと解釈しました。いろいろある中で、様々なバランスを鑑みながら大人の対応をしたり、折り合いをつけたり・・・。度が過ぎると自分をなくして周りに合わせて同調するということになりますが、倫理をまといながら凜とした自分を貫こうとする決意の表れだと感じました。

 

もし色をつけるとしたら涙にはマカロンみたいなやさしい色を 住吉和歌子

柳澤真実さんの「遠くから手を振ったんだ笑ったんだ 涙に色がなくてよかった」という作品を思い浮かべました。涙に色がなくて本当によかったけど、もし仮に色をつけるとしたら?うん、やっぱりパステル調の優しい色合いがいいなぁ、私も。

 

真っ先に君をめがけて舞い降りた桜ひとひら見下ろすつむじ 朝倉冴希

これは私自身の作品なのだけど、4首の中で選ぶとしたらこれかなぁ。つむじを見下ろしているのは、君をめがけて舞い降りた花びらであり、その花びらがひらりとつむじに舞い降りた様を見ている“私”  花びらは願望の象徴。

 

ため息の重さ椿に似ておれば散らせてはくれぬ恋だと思う とうてつ

散らずに花ごとポトリと落ちる椿を比喩に持ってくるとは。「散らせてはくれぬ」でわかるわぁとなりました。玉砕して盛大に散らせてくれる恋ばかりではないことを、今まで生きてきて知ったので。

 

若い子と今日も呼ばれるタピオカのブームは二回経験してる 文乃

私も二回経験しているクチです。白くて小さい粒のタピオカも、あれはあれで美味しかったよね。若い子と和気藹々としながら楽し気な様子が伝わりますね。

 

「交」まじわるをみて交尾しか浮かばない女子大生は太宰とねむる 蝉の翅

「交」まじわるをみて何を思い浮かべるかって・・・。女子大生みたいに若くないけど・・・ごめんなさいです、私も同類かもー。(/ω\) ・・・って、いい歳してこんなこと言ってる場合じゃないね。(^_^;)

 

ノイズだけ流すラジオを聴きながら静かに朽ちてゆく午前二時 藍野瑞希

学生時代はradikoなんて便利なアプリがなかったから、リアルタイムでオールナイトニッポンとか聴いていました。朽ちてたなぁ。(笑) 寝不足のまま電車に乗って、ボケ~としながら名古屋まで揺られていました。運よく座れたらグースカ眠って・・・。(笑) それはそれでいい思い出です。

 

ワイパーはいつも正しい振り幅で雨の速度に合わせてくれない 街田青々

速度の切り替えは一応はできるけど、ちょうどいい感じにはなかなかならないですよね。自然ってそういうものだからこそ尊いのかも。

 

桃色の緩く織られたストールは心残りの羽衣のよう ゆりこ

「ゆるく織られた」の言い回しと「羽衣」という名詞があることで、ストールの柔らかな手触りまで伝わってきます。天女の羽衣伝説は、羽衣を隠されて天に帰れなくなってしまった天女の物語。天女のその後は諸説あるけど、いずれにせよ何かしらの「心残り」を纏っているように思います。そこを上手に捉えているなと感じました。

 

悔いの無い者から順に目を開ける墓前の曾孫あくびを一つ ペンギンおじさん

「墓前の曾孫あくびを一つ」の部分でその情景が印象に残りがちだけど、「悔いの無い者から順に目を開ける」の上句が特にいいなと思いました。想いを伝えきれていないから悔いが残るのだから、確かにそうかもしれないですね。時が経過していくうちに、あんなことがあったこんなことがあったなどと語らうこともあるのかもしれないけど。

 

どしゃ降りのようなドラマを借りてきて深夜一人で大切に泣く ひなこ

「涙活」ってやつですね。無性に泣けるドラマや映画が観たくなるときがあって、たまにやるときあります。仰々しく泣けとばかりのものより、他の人からするとこんなことで⁈と思うようなことろで些細なシーンで泣けてきたり・・・。涙腺のツボって不思議なものです。「大切に泣く」というところに、それまで気丈に振る舞って頑張っていただろうことが伝わってきます。

 

いーりゃんさんすーありふれた人生をやり直すための薔薇の花束 さよならあかね

パッと見て、一瞬「いーりゃんさんすー」ってなんだ?って思ったけど、イー(1)、リャン(2)、サン(3)、スー(4) で 麻雀での数字の呼び方ですよね。イー(1)、アー(2)、サン(3)、スー(4)  だと中国語の数の数え方になるけど。敢えてこの呼び方で薔薇を数えることで、ありふれたものにはしないという決意が感じられます。