このブログでは一切触れていなかったのですが、実は短歌をやっています。
短歌を始めたきっかけ
なぜ短歌なのかと言いますと、“乗っかった”のです。(笑)
当初は、加藤千恵さん、佐藤真由美さん、天野慶さんといった、勢いのある若手歌人が次々と輩出されていた頃で、ケータイ短歌とかちょっとした短歌ブームだったのです。
もともとちょっとした小説を書き始めていたのですが、飽き性で根気のない性格なので完全に行き詰っていました。そこへ彼女たちの存在を知り、イキイキとした言葉に魅了されそうだこの手があったと、すぐさま飛びついたというわけです。
小説や長文のコラムを書くような根気のない私でも、これならなんとかいけるかもしれないと、1人地道に創作活動に励みました。
コンクールに応募、そして出版
最初はただの自己満足で誰にも知られることなくやっていましたが、一念発起して作品をコンクールに応募してみることに。で、初めてコンクールに応募した
誰よりも隔たりのない至近距離そういう位置で撃たせてほしい 朝倉冴希
というこの短歌で、「第2回NHK学園ネット短歌コンクール(NHK学園スローネット主催)」において特選に選ばれました。ちょうどそんな浮かれモードのときに、とある出版社の出版説明会が名古屋で開催されると知り、調子に乗ってこんな本まで出しちゃいました。
完全に若気の至りです。(笑)
とまぁ、こんな感じで“乗っかった”私ですが、なんだかんだで今でもポツポツと創作活動を続けています。
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さて今回は、そんな私が短歌について少し語ってみようかと思います。
冴希流、短歌のこだわり
短歌ってそもそも5・7・5・7・7という枠の中に言葉を当て嵌める作業になります。言葉の海に潜ってピースを見つけるのはしんどくもあるのですが、その時間が結構好きだったりします。
ピースを当ててみると、自分の中でカチッと嵌る瞬間があるのですが、そこに至るまではひたすら潜り続けます。潔癖症みたいなもので、少しでもズレていると感じるとどうにも落ち着かないんですよね。
逆に、5・7・5・7・7という“しばり”がある分、カチッとなったときはものすごく爽快です。これこそ短歌の醍醐味。ただ、その判断基準はあくまでも自分なので、他の人がどう感じるかはわかりません。
では、そのカチッと嵌る最終形に持っていくためにどうしたらいいのかとなるわけですが、冴希流のこだわりは大まかにして以下の通りです。
こだわりは人によって違うし、どれが正解で間違っているとかはありません。ここでは、私なりにこだわっていることについて書いていこうと思います。
- なるべく5・7・5・7・7の定型を崩さない。
- 美しい、綺麗といった形容詞はなるべく使わない。
- 調べを大切にする
- 広がりを持たせる
- 独りよがりにならない
といった感じです。
ひとつ例にあげてみますと、朝倉冴希の作品に
「現実は甘くないよと暗がりでポップコーンを頬張っている」
というのがあります。
「暗がり」「ポップコーン」というワードから映画でも観てるのかな?などと読み手に想像させたり、「現実は甘くない」という一言で甘くない現実へのもの悲しさだったり憤りだったり・・・を、読み手に感じてもらえるようにしたつもりです。
この短歌の主人公は、ひょっとしたら失恋したのかもしれないし、会社や家庭で上手くいかないことがあったのかもしれない・・・などと、想像を膨らまさせるという広がりをもたせています。
些細な場面を写真のように切り取ることで広がりを持たせることもありますが、私はこのように大まかなところから細かいシチュエーションを連想させることが多いです。
シチュエーションは違っても、テレビや映画を観ながら所詮ドラマや映画の話だからねと、どこか冷めた目で見てしまった経験ありませんか?そんなあるあるです。
このように、限られた文字数の中で読み手にいろんなことを想像させたり広がりを持たせることができるのは短歌の魅力です。
こだわりと書きましたが、私は割と我を捨てきれないというか、我流を突き通すところがあるので余計なのですが、こういうものは自分の頭で考えて自分が納得できる部分を上手く取り入れていけばいいのだと思っています。自分の作品なのだから。そのために、さまざまな考え方に耳を傾けていくというのが冴希流です。
なので、このブログに書いてあることも「こうするべきだ」という指南ではなく私はこのようにしていますという例なので、一意見として参考にしていただければと思います。
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そんなわけで、これからちょくちょくこのブログで短歌ついても発信していくつもりなのでお付き合いいただけたら幸いです。ではでは~。
朝倉冴希