歌舞伎町でホストクラブSmappa! Groupの会長をされている手塚マキさん著書「裏・読書」を、一部を再編集したというこちらの記事。スタンプを使う人ほどSNS疲れするワケ

 

短歌のことにも触れていて、とても興味深い記事だったので健忘禄を兼ねてシェアします。

 

SNSはいい面ももちろんいっぱいあるけど、言葉のもつ可能性や、人と人のやりとりを狭くしている部分もあると指摘されていて、短歌は言葉のもつ可能性に改めて気づかせてくれたということでした。

 

 

僕たちホストは言葉をそのまま文字通りには受け止めません。お客様に「あんたなんて嫌い」と言われて、嫌われたから連絡しないっていうやつがいたらホスト失格です。あるいは、「じゃあなんで嫌いなの?」って問い返すホストもいないでしょう。

僕たちホストは、お客様の言葉を大切に、丁寧にあつかって「本当は何を感じているのか」を考えることが仕事だからです。

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日 

 

恋人との何気ない日常の思い出がうまく切り取られていると思いました。あとになって俵さんは、実際にこの歌のインスピレーションを得た時に彼と食べていたのは、サラダではなく唐揚げだったと明かしています。現実は創作より、脂っこかったわけですね(笑)。

僕の友人に聞いてみると、この歌で「ゲイのカップルが食卓を囲む漫画を思い出した」という人もいましたし、「これって母親と息子の話なんじゃない?」という人もいました。時代の空気や、自分の置かれている状況によって、無限の読み解き方ができる。これは31文字という限られた文字数だからこその広がりなんだと思います。

何してる? ねぇ今何を思ってる? 問いだけがある恋は亡骸  
君を待つことなくなりて快晴の土曜も雨の火曜も同じ

 

完全に、売れないホストのむなしさを歌っている!と思ってしまいました。僕たちの世界では、お客様に一度も指名されなかった夜のことを「お茶をひく」というんですが、この歌からはお茶をひいてるダメホストが浮かびました。お客様にLINEを送っても既読にすらならない。店の裏でスマホを握りしめている惨めなホストの風景は日常茶飯事です。

ホストなら誰しも、この歌を読めば、「めっちゃわかる!! 」と、前のめりになってしまうのではないでしょうか。ホストはフラれるのに慣れるのが仕事。わかっていても、やっぱり切なくなるんです。

こんな風に、自分の身の回りの出来事や仲間をついつい想像してしまうのが短歌の面白さ。すっかりSNS疲れしていた僕に、俵万智さんの短歌は、断片的に世界が切り取られることは、嫌なことばかりじゃないと教えてくれます。

これは、SNS疲れしてしまっていた自分自身へのメッセージでもあるのですが、ある言葉の奥には、本当に想像もつかない世界が広がっているのが当たり前。それを楽しく乗りこなすか、ダメージを受けて辛くなるかは自分次第です。僕が俵万智さんの短歌を読んで、ぼやきホストを思い浮かべたように、面白がって自分とリンクさせるのが、言葉との上手な付き合い方でしょう。

一方で、不必要に短い言葉に自分を投影させすぎて傷ついたり憤ったりすると「炎上」などの火種になるのだと思います。

もちろん時にはニュースや災害情報を伝え、速さと確からしさが人々の役に立つTwitterや、コミュニケーションを劇的に便利にしてくれたLINEなどと、芸術表現の短歌を単純に比べることはできません。事実を正しく伝えるために、論理的に言葉をつないでいくこと。説明して、相手に理解させ、誤解を生まないように文章を構築していくこと。報道や論文に使用されるような、人と人が意思を疎通するツールとしての言葉は、もちろん重要です。

問題は、感情を伝える言葉や感情をうみだす言葉も単純化してきていること。短歌に触れることは、断片的な短い情報とどう付き合っていくべきか、という点において考えさせられるヒントになるのではないでしょうか。

常套句を見かけた時に思考停止を起こしてしまわないこと。たとえ紋切り型の言葉を受け取ったとしても、それに対する自分の気持ちと、他人の気持ちが同じはずはありません。決して決めつけない。相手と同じ絵を描けていると過信しない。そういう前提に立って、言葉の豊かさと、いい加減さに寛容である方がいいんじゃないかなと思います。

 



 

「いい意味で言葉を過信しない」というのはごもっともだし、SNS上では特に求められるスキルなのかもしれませんね。それには相手を思いやるだけの心の余裕や想像力だったりが必要で、その点においてはまだまだだなぁと自己嫌悪に陥ってばかりの私。(^^;)

 

多少なりとも短歌をかじっているのだから、もうちょっと上手く言葉と付き合えるように頑張ります。