我が家からでもちらほらと見かけていたはずの蛍が、先日の集中豪雨に見舞われて以来、とんと姿を見せなくなってしまいました。先日、川辺にも行ってみたのですが、見かけたのは一匹だけ。滞在したのはごく短い時間だったけど、それにしても明らかに少ないです。豪雨に流されてしまったのか、たまたまタイミングが悪かっただけなのかよくわかりませんが、蛍がまた以前のように戻ってくれればと願う日々です。

 

 

もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂(たま)かとぞ見る 和泉式部
物思いにふければ、沢の蛍の光もわが身から離れてさまよう魂であるかのように見えます。

 

鳴かぬ蛍が身を焦がすというように、蛍はその奥ゆかしさ故に古から多くの歌人を魅了してきました。蛍って発光しながら浮遊するというより、ふわっと光を放って飛んでまたふわっと光を放ちながら飛ぶんですよね。ふわっ、ふわっと飛ぶ蛍の光を見ていると、なんだか不思議気持ちにさせられます。綺麗だなぁと光に目を奪われてひとしきり気分が高揚した後は、不思議なほど気持ちが沈静化していくのを感じます。あのふわっ、ふわっと点滅が、そうさせているんでしょうね。「わが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る」にはそんな感覚もあったりするなのかなと思ったりします。

 

 

恋多き女性として知られる和泉式部。和泉守・橘道貞の正妻でありながら、泉天皇の第三皇子である為尊親王(ためたかしんのう)に言い寄られて恋仲に。ほどなくして為尊親王は病死すると、今度は為尊親王の弟である敦道親王とも熱愛に発展。源雅通などとも浮名を流し、後の再婚相手である藤原保昌にも熱烈なアプローチを受けたりとまさにモテモテ。

 

一方で、父親の大江雅致からは勘当され、敦道親王が自身の邸宅に和泉式部を住まわそうとして敦道親王の正妃(藤原済時の娘)が大激怒して家出してしまったといったエピソードもあります。また藤原保昌からアプローチをされた際には、紫宸殿 (天皇の御座所)の梅を折ってきてくれたらと、かぐや姫さながらの難題を吹っ掛けたことでも知られています。京都の祇園祭といえば有名なのが山鉾ですが、山鉾の中にはこの話をモチーフにした「保昌山(花盗人)」というのがあります。

 

 

 

和泉式部といふ人こそ、おもしろうかきはしける。されど、和泉はけしからぬかたこそあれ、うちとけて文はしり書きたるに、そのかたの才ある人、はかない言葉のにほひも見え侍るめり。歌は、いとをかしきこと、ものおぼえ、歌のことわり、まことの歌よみざまにこそ侍らざめれ。口にまかせたることどもに、かならずをかしき一ふしの、目にとまるよみそへ侍り。それだに、人のよみたらむ歌、難じことわりゐたらむは、いでや、さまで心は得じ。口にいと歌のよまるるなめりとぞ、見えたるすぢに侍るかし。はづかしげの歌よみとはおぼえ侍らず。

和泉式部という人は趣のある手紙のやり取りをした人であります。とはいえ和泉には感心できない面もあるのですが、気軽に文を走り書きしたときに、その文才が見える人で、何気ない言葉に艶のある美しさが見えます。歌は情趣はあるものの、そこまで知識や道理に精通しているわけではなく本物の歌人というほどではないようです。口にまかせた即興のものには、必ず趣向を凝らした目にとまる一文が詠み添えてあります。それほどであるのに、他人の詠んだ歌を非難したり批評したりしているのをみれば、そこまで心得があるとは思われません。口をついて歌を詠んでいると見えてしまう、そのような歌風であるといえるでしょう。こちらが恥ずかしく思うような歌人とまでは思えません。

 

上記は、紫式部が書いた紫式部日記にある一部を抜粋したもの。奔放な恋愛に関しては「けしからぬ(感心できない)」としながらも、即興で書いた文はとても素晴らしいと評しています。先ほどの「わが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る」も直情的ではなくあくまで感覚だけをさらっと詠んでいて、こういったところは紫式部のいうように直感型なのかなと感じます。掲出歌はそこが心にすっと入ってきて、好きだと思うところです。蛍のあのふわっ、ふわっをより恋しくさせます。