失ってから初めて気づく、当たり前が当たり前じゃなくなることの喪失感というのは、何の前触れもなく突然にやってきたりします。当たり前に享受している感謝すべきことに目を向けているつもりでも、これからも幾度となく経験していくものだと思ってはいるけど、いくつになってもこの感覚というのは慣れません。失ってしまってから、存在していることがこんなにも有り難くて幸せなことだったのだと気づいたりするんですよね。喪失感のあとに伝えたいと思うのは、いつだって「ありがとう」の言葉。

 

有難みというのは、わかりやすかったりもするけど気づきにくい場所にひっそりと隠れていたりもするし、どうも心というのはポジティブよりもネガティブを探すほうが得意なようです。だから不満を漏らしたり、無いものねだりをしてしまうこともよくあるんだけど、なるべく「幸せ探し」をしていこうと心には決めています。

 

そんなに思ったようにはいかないけど、コロナ過やあちらこちらで震災が起こって、何より年齢を重ねていけば重ねるほどに当たり前が当たり前じゃなくなると気付き始めてから少しずつ意識が変わっていき、幸せを感じるセンサーの感度が高くなった気がします。何気ない日常の中での幸せ探しが、前よりもずっと得意になりました。もっとああだったらこうだったらと言い出せばキリがないし、細かいところではいろいろあったりもするんだけど、総じてとても幸せだと言えるのはとてもありがたいことです。

 

「ありがとう」といえば真っ先に浮かんでくる掲出歌。有難みというのは、わかりやすかったりもするけど気づきにくい場所にひっそりと隠れていたりもするんだけど、どんな有難みに対しても「ありがとう」を添えながらそっと寄り添ってくれる一首。

 

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今日はサンキューの日。