
高市政権になってから、国会の切り抜き動画などが数多く出回るようになり、必然的に目にする機会が多くなりました。長時間の視聴が必要だったころと違い、今は論点が切り抜かれ、編集されることで“構造分析としての国会”が一気に可視化されました。前はほとんど興味がなかったのに、今はむしろ面白く感じています。
理由の一つとして、詩・短歌を読むときと同じように、言葉の表層と裏層のズレがはっきり見えるというのがあります。政治的な是非とは切り離して構造ベースの話をすると、今の国会って良くも悪くもダイナミクスが強まって、ひとつの大きな「テキスト」みたいなものだと思うんです。
- 質問に答えていないようで、表面的には整って聞こえる。
- 答えられないとき、「具体」→「抽象」へ飛ぶ。
- 「(条件が揃えば)答えます」式の回避。
- 内容を変えず、表現だけわずかに変える。
- 相手の質問に“実質無反応”のまま時間を消費する。
- 責任の“向き”を変える。
- 都合のいい範囲でしか説明しないで、都合が悪くなると説明が粗くなる。
等々。
なので、そういうことを踏まえたうえで
- 今、話の軸はどこにある?(因果/理念/過去/未来)
- 答弁者はどのレイヤーで話をしている?(抽象/具体)
- 質問と答弁は“同じ構文”になっている?違う?
- 誰に責任が置かれている?動かされている?
- 時間の使い方はどう?(前置きの量)
といったことを、詩の修辞技法を見抜くように観察するとめちゃくちゃ面白いです。私自身、質問や受け答えに関して、即興型ではないしアドリブが効かないタイプなので、切り込み力や受け答えの鍛錬場である質疑応答のシーンは、非常に参考になることが多いのです。
- 質問者の論点の立て方
- 答弁の言い逃れの構造
- 話のそらし方・言葉遊び
- 言葉の裏にある前提の揺さぶり
政治そのものに興味がなかったとしても、“読解の目”で国会を見ると「言葉の構造ゲーム」として楽しめるのでお勧めです。











