こちらの記事で「あなたと短歌」という本のことを書いたときに、知花くららさんが短歌を始められたきっかけとなった本としてちらっとご紹介した「たとへば君 四十年の恋歌」をようやく読むことができました。歌人である河野裕子さんと、その夫であり同じく歌人の永田和宏氏による共著です。

 

出会いから河野さんが乳癌で亡くなられるまで四十年に及ぶの夫婦の軌跡が、380首の相聞歌、そして過去の執筆、インタビューなどによってまとめられています。

 

河野さんのこんな言葉があります。

『家』という歌集を出したときに永田が、どういう話からか忘れましたが、「お前はこんなに寂しかったのか」って言ったんです。それが忘れられなくて。

~中略~

短歌というのは生な身の関係で喋っているレベルとまた違うレベルで、お互いの人に言わない言えない感じというのを読み合っていく詩形だなあと改めて思いました。

~中略~

表現したときの心の底の深みが、ほんのちょっとした助詞や助動詞の違いなんですけど、歌をやっている者同士はわかるんです。そういう表現する者同士の心の通い合わせ方とか、短歌という詩型の持っている力とかを、永田の一言で思いました。わかってくれる読者がひとりいればいいんです。

 

2人に共通しているのは、短歌の前ではバカがつくほど感情が正直で丸裸であるということ。共に歌人で、短歌というフィルターを通して話し言葉よりもずっと奥底で互いのことを深く読み取ろうとする故に、より感情をむきだしに「知ってもらおう」としていたからだと思うんです。

 

慕情や甘やかなもののもちろんありますが、綺麗ごとだけではない生々しい感情もたくさん出てきます。乳癌を患った河野さんが精神的なバランスを崩してからは特に、「地獄の日々」だったと振り返るぐらい激しいエピソードも紹介されています。

 

 

嬉しいことも悲しいことも、日常のささいなことから日々の葛藤も何もかも歌にして、時には激しくぶつかり合い・・・そして支え合う夫婦のあり方は、必要以上に互いを傷つけあうこともあったのかもしれません。反面、互いに愛しく思う揺るぎない想いもオブラートに包まれることもなくストレート。

 

歌人として表現方法にこだわりはあっても、その時の想いをヘンに取り繕ったりはしていないんですよね。それ故に、読んでいる側も、激しく心が揺さぶられます。なぜこれほどまでにさらけだせるのかと思うのですが、いやそれができるからこそ一流の歌人なのだとも思います。

 

 

何といふ顔してわれを見るものか 私はここよ吊り橋ぢやない 河野裕子

平然と振る舞うほかはあらざるをその平然をひとは悲しむ 永田和宏

あのときの壊れたわたしを抱きしめてあなたは泣いた泣くより無くて 河野裕子

一日が過ぎれば一日減つてゆく君との時間 もうすぐ夏至だ 永田和宏

手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が 河野裕子

 

 

「河野裕子は文字通り最後の日まで歌を作り続けた。寝ながら、横にあるものになんでも歌を書きつけた。ティッシュペーパーの箱、薬袋、などなど。

~中略~

そして、いよいよ鉛筆を握る力がなくなると、何の前触れもなく、話をするようにして、歌の言葉を呟いていたのである。慌てて、その場にいる家族の誰かがそれを口述筆記する。そんなふうにして、紅が書き、淳が書き、私が書き写した」

(巻末エッセイ「残された時間」より 永田和宏)

 

病と闘いながら最期まで歌人としてあり続けた河野さんを、全身全霊で受け止めて支え続けた夫と二人の子供達。亡くなってからもなお歌人として残した無数の痕跡を形に残そうと辿り続けてくれている・・・そんなご家族がいたからこそ、河野さんは最期まで歌人でいられたのだろうなと思います。