一休宗純禅師といえば、あの頓知で有名な一休さん。実際の一休さんは、アニメと違いずいぶん風変りで皮肉屋だったというのはよく知られているところです。正月のおめでたいムードの中、杖の先に髑髏をつけて「ご用心」と歩いて回ったという逸話があり、「冥土の旅の一里塚」とは死に近づくことでもあるんだぞという戒め。

 

私が誕生日を迎えるたびに、「めでたくもなんともないけど」という母の枕詞のようないらぬ一言。正直イラッとくるのだけど、そんな意味がこめられているのかもしれません。現実ってそんなに生易しいものではなくて、年齢を重ねていけばいくほど向き合わなくてはいかなくなりますしね。

 

 

一休さんは子供の頃によく観ていたアニメだったのですが、あの可愛らしい一休さんが杖の先に髑髏をつけ、涙を流し石をぶつけられながら歩くシーンは衝撃的でした。戦によって家を失い寺に集まってきた人々のために、頓智でなんとか食べ物を調達した一休さん。ところが人々はまた戦のために駆り出されてしまい、一休さんはそのやるさなさを髑髏にぶつけるのです。

 

懐かしさもあり、今回Amazonのレンタルでアニメを観てみました。「正月がくればめでたいという。よく考えてみればそれだけ死ぬ日が近づくのじゃ。死にたくないくせに正月をめでたいといい、死を嫌うくせに争いを止めぬ。人間とはなんと愚かなもの」和尚様のこの言葉がすべてを物語っています。

 

複雑な事情が絡み合う中で、人間とは昔も今もそんな矛盾を繰り返し、そのことに翻弄され続けているのが現状でしょう。オミクロン株が猛威を振るっているのは、その最たるもののような気がします。無漏路より「ご用心なさい」という一休さんの声が聞こえてきそうですが、経済を回さなければいけないしなかなか思うようにはいかないですね。

 

アニメの終盤には「元旦は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」の一休さんの歌と、「一休さんの怒りがおわかりでしょうか?人間死ねば同じしゃれこうべになり、お正月がくればそれだけ死に近づくことになるのです。だから用心して生きているうちに良い行いをしなさいと叫んでいるのです」というナレーションが入るのですが、これだけ生きていてもその意味が本当に理解できているとは思えずにいます。

 

あとアニメでは初句の部分が「元旦は」だったのですが、調べてみても「門松は」「門松や」「正月や」「正月は」だったりとバラバラで、結局どれが正解なのかわかりませんでした。どれが正解なのだろう。