紅葉や「みかえり阿弥陀」で有名な、京都にある永観堂禅林寺へ足を運んできました。
藤原関雄は平安初期の貴族であり文人。「文徳実録」には、藤原関雄の人となりを「性閑退を好み、常に東山の旧居に在り。林泉を耽愛す。時人呼びて東山進士と為す。」とあり、文章生に合格するも俗事にわずらわされるの嫌って官職に就かず、東山の旧居に籠って山林や泉石を愛し、世間からは東山進士と呼ばれていたそうです。
そんな人柄を気に入った淳和天皇の再三の要請で出仕。勘解由判官などを務め、琴にも秀でており淳和天皇より秘譜を賜わったこともあるといいます。藤原関雄が暮らしていた東山の旧居が建てられていたのが、京都の若王子山の麓にある永観堂禅林寺のあるところでした。
奥山のいはがきもみぢちりぬべしてる日の光みる時なくて 藤原関雄
美しく色づいた奥山の岩垣もみじは散っていくことだろう、このまま日の光を見ることもなく。
紅葉に自分を重ね、このまま日の目を見ることなくひっそりとこの世を去っていくのだろうという意味になります。
永観堂禅林寺を訪れた際もなかなか日は照ってくれませんでしたが、もしかしたら掲出歌を詠んだときも同じような空模様だったのかもしれませんね。とはいえ、日が当たらずとも十分に美しい紅葉を堪能することができました。
また禅林寺12世である静遍僧都は、平清盛の異母弟である平頼盛の息子。頼盛の母である池禅尼の尽力によって命を助けられた過去がある頼朝は、静遍僧都を厚遇し「大般若経」や「釈迦十六善神象」などを寄進しており、それらが「特別寺宝展」として展示されていました。12/4までなので機会があればぜひ。http://www.eikando.or.jp/gyouji.html