人に優しくありたいとは思うけど、寛容になれない時もあるし、イラっとくることもあるし。徳の高い人ほどそれらを上手に浄化してしまうんだろうけど、そこまでの器量を待ち合わせていない自分は簡単に揺さぶられてしまいます。
単発的にイラッとモヤッとすることなんてしょっちゅうあるけど、そんなのはその場限りでいつもならすぐに忘れることがほとんど。それなりに耐性がついてきてそこまで引きずることなんてないのに、昨日はどうにもモヤモヤイライラが止まらなくて、感情を紙上やキーボードにぶつけたところでした。今にして思えばなんであんなにと思うけど、メンタルが弱っていると些細なことでも跳ね返せなくて、心狭いなと思いながらもまっいっかと受け流せなくなったりします。
罵りなど極めて人間的などす黒い部分は、要らない紙の上にガ~ッと書いてもうこれでおしまいと薪ストーブに放り込んで燃やして。そういうところはヘンに冷静だったりする私。あとはこんなことがあって自分はこう感じたみたいなことをひたすら書き綴って。書いてぶつけてみたところで、そんな単純にスッキリするわけではないけど、こんなときこそ自分の内面と向き合ってもがいてあがいてみるのもアリなのでは。そんなことを考えながら。
何事にも動じないほどの寛大な心を持つのって本当に難しくて、何度も何度も失敗して、自分なりにもがきながらも試行錯誤してまた失敗して。そんなことの繰り返しで自己嫌悪に陥ったりしても、ウチに湧いているさみどりの蕗の薹さんはそんなことは知る由もなく。
見つけたときはこんなに小さかった蕗の薹。
一度だけ蕗味噌を作ったけどそれっきり。そうこうしているうちに成長してさみどり。「自尊心いら立ち腹立ち知らぬ」まま、もうすぐオンリーワンの「世界にひとつだけの花」を咲かせそうです。
そんな今日は「蕗の薹の日」であり、昨日の今日でなんだか見られていたようにタイムリーな掲出歌。不思議な気持ちです。