野草に興味を持ち始めた私にとって、「その辺の草でも食つてろ」と言われたら、むしろ「その辺の草も美味しいものがたくさんあるんだぞ」と思うのです。「その辺の草・・・」を実際に食べてみなければ、その美味しさや楽しさを知ることはできません。知る人だけが味わえる、小さな贅沢がそこにあります。ただの草として見るか、季節の味覚であり自然の恵みとして見るか。その視点の違いが、この句の中でさりげなく浮き彫りになっています。
「その辺の草でも食つてろ」という、少し乱暴にも思える言葉を、「ああ食ふは」と軽やかに受け流し、ちゃっかり蕗の薹を選ぶところがなんとも粋です。反論するわけでもなく、怒るわけでもない。そのしたたかさと余裕、そしてちょっとしたおかしみが心地よい余韻を残しています。さらに文語の響きが、一見ギクシャクしたやりとりに、どこかたおやかさを添えているのも印象的です。
見下されがちな「その辺の草」の中にこそ、実は豊かな楽しみが隠れている。この真実を、ユーモラスなやり取りの中でさらりと描き出している点が巧みです。無駄に力まず、余裕をもって受け流し、美味しいところだけをしっかりいただく。ささやかな中にこそ豊かさを見つけられる、そんな軽やかでしなやかな生き方ができたら素敵だなぁと、しみじみ思いました。
我が家では蕗の薹は、節分蕎麦の天ぷらに、あとは蕗味噌を作りました。ほろ苦さが春の訪れを感じさせてくれます。たくさんは食べられないけれど、だからこそ特別な季節の味覚です。