モーリス・ドニといえば、象徴主義でナビ派の代表格であり、写実主義(リアリズム)とは真逆。「絵画とは平面を調和された色彩で覆うことにほかならない」という、明確な芸術観を持っていました。「花飾りの船」にもその思想がよく表れていて、ナビ派の特徴的ともいえる形の簡略化が大胆にされています。紫陽花で飾られた船を人々が囲んでいる祝祭が描かれていますが、水面に映れる紫陽花が明確に描写されているわけではありません。私から見た印象は「映っているようにも見えるし、違うようにも見える」

 

映っているようにも違うようにも見え、そこにあるかどうかわからない水面の紫陽花。そこに描かれていなくても、現実としてあるはずだから、なければ不自然だからなのかもしれません。あるいは、心の眼であたかもそこにあるかのように感じ取ったからで、少なからずそういった感受性が自分にもあるのかもしれません。そうだとしても、「映れるや」と言い切れるのかと問われれば、わからないというのが率直な答えです。

 

ただ言えるのは、絵が内包している余白や象徴性を受けとる、とても鋭くて豊かなまなざしがあるからこその詠嘆であるということ。紫陽花の見えない部分までも含めて、深く共鳴している、そんな気がしてなりません。

 

なお、掲出歌が詠まれた時期は定かではありませんが、2023年の「憧憬の地ブルターニュ展」で、「花飾りの船」が大きくフューチャーされたことを考えると、もしかたら展示会場に足を運んた生まれた一首なのかもしれませんね。ちなみにヨットの舳先にある「日の丸」は、作品を買い取った大原孫三郎氏へ感謝を表したものだと言われています。