今の家に越してきてすぐの頃、夜のシーンとした中にいるとどこからか音がしていて、私はそれが何の音かわかりませんでした。なんていうかジー---という甲高い音。何の音だろう、何の音だろうとずっと思っていたんです。

 

以来、普段はそんなことないのですが、どうかして耳の神経を集中させるとその音が聞こえるようになりました。うるさくてうっとうしいのでなるべく避けたいところなのですが、ときには意図しなくてもその現象はやってきます。

 

 

 

そんな中、耳の聞こえが少しおかしくなって耳鼻科へ行ったときのことです。完全防音の小さな一室で聴力検査をすることになったのですが、そこに入ったとたんにまたあの音が聞こえてきました。無音のはずなのに・・・。

 

それはいわゆる「耳音響放射」という正常な反応で、無音またはそれに近い状態になると自覚しやすい耳鳴りの一種。それがわかってから、この世には完全なる無音ってないんだなと思い知らされました。

 

「夜の耳しんと立てれば」「樹下のささやき」・・・眠れない夜にありがちなとりとめのない考えごとが流れ込んでいるというよりは、耳音響放射のことを詠んでいるのだろうと解釈したのはそんな経験があったからです。

 

耳音響放射をわりと頻繁に体験しているからこそ、「夜の耳しんと立ててば」「樹下のささやき」の比喩の巧みさがわかります。

 

意識しちゃっているからでしょうね。実はこの記事を書いている今も、「樹下のささやき」がずっと流れ込んでいます。