先日ご紹介した「あなたと短歌」という本の中で、歌人・永田和宏氏のこんな言葉があります。

「歌って、歌人とその代表かだけを広く浅く知るよりも、代表歌となった歌が作られた背景にはどんなことがあったのか、詠んだ作家の人生のどのあたりで作られた歌なのか、それがわかると、歌を詠んだときの解釈や味わいの深さがまったく違ってくる」

「もっと知りたいと思う歌人が見つかったら、第二段階としては歌集を読んで、歌人の人生を知ってほしいんです。歌人は一人で生きているわけじゃない、必ず同時代の人と一緒にいろんなことをしている。同じ時代を生きた別の歌人からも影響を受けるから、縦や横のつながりも意識しながら読むと面白くなると思います」

 

対談相手の知花くららさんは、「与謝野晶子の歌も、鉄幹と山川登美子との三人模様を知っているのといないのとでは、まるで味わいが違いますもんね」と返していますが、つまりはそういうことです。

 

これまで作品だけをみて「この歌好きだなぁ」「好みだなぁ」と思うだけで、歌人の人となりについて考えてみたことはあまりありませんでした。でも、言われてみれば確かにその通りであって、歌人についてもう少し勉強してみようと手に取ってみたのが今回ご紹介する二冊です。

 

 

 

どちらも永田氏の本なのですが、著名な歌人の代表歌、時代背景、歌が作られたときのエピソード、どのような人生を送られたのかなどが、歌の解説とともに綴られています。まさに、歌人のことを知るうえではうってつけの本と言えます。ちなみに「現代秀歌」では、著名な歌人たちの秀歌が100首紹介されています。

 

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好きな短歌のひとつに、山崎方代の「一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております」という歌があります。「一匹の蟻がいまして銀鼠のインクの上を這ってゆきます」など、その影響を色濃く受けた歌を詠んだりもしているんです。

 

現代秀歌には、その山崎方代が戦争の影響で右目を失明していたことなどが書かれており、さらにネットで調べてみるとこんなエピソードが紹介されていました。

 

鎌倉のとある寿司屋の見習いに根岸侊雄(てるお)さんという方がいたのですが、親子ほどに歳の離れた二人はなぜか気が合ってよく酒を酌み交わしていたそうです。二人の親交の深さは、根岸さんが寿司屋を独立し家を建てた際には、方代を住まわせるためのプレハブまで建ててしまうほど。

 

新婚だった根岸さんの奥さんは、当初このことに大反対していたそうですが、人懐っこい方代の人柄もあって次第に認めるようになったのだとか。後に、そんな根岸夫婦のもとに送られたのがこの歌。

茶碗の底に梅干の種二つ並びおるああこれが愛と云うものだ 山崎方代

 

ちなみに根岸さんが見習いとして働いていた鎌倉の寿司屋では、方代のこんなエピソードもあります。名だたる文豪たちを紹介してもらうというとても幸運な機会に恵まれたのですが、おもむろに同じカウンターに腰を下ろそうとしたところ「ここに座るんじゃない、あっちに座っていろ!」と大作家の大佛次郎から一喝されてしまったというものです。

 

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他の歌人のこともちらっとご紹介すると・・・

 

一枝の櫻見せむと鉄格子へだてて逢いしはおとうとなりき 辺見じゅん

この「おとうと」とは、角川書店の社長を引き継いで華々しい活躍をされたあの角川春樹氏のことです。残念ながらその角川氏が、麻薬取締法違反で逮捕されてしまったことはご存知の方も多いのではないでしょうか。不祥事を起こしてしまった弟に、一枝の櫻を見せようと面会する姉の心情が「おとうとなりき」の一言にずしっと重くのしかかります。

俳人でもあった角川春樹氏が、姉の気持ちに応えるようにそのときのことを詠んだのがこの句です。

「遠桜いのちの距離と思いけり」角川春樹

 

処女にて身を深く持つ浄き卵秋の日吾の心熱くす 富小路禎子

富小路禎子は、敗戦直前に母を亡くし、父は貴族院議員でした。しかし、旧華族制度の廃止によって社会的地位を失うと、父親はたちまち気力をなくし働く意欲をなくしてしまったのだそう。そんな父親を支えるために、生涯独身を貫こうとした覚悟がこの歌に込められています。

 

微笑して死にたる君とききしときあはれ鋭き嫉妬がわきぬ 相良宏

「未来」に所属していた相原宏は、結核を患っており治療に専念するため結核療養所に入所することになります。この歌の“君”というのは、そこで知り合った同じく結核患者の歌人・福田節子のことであり、彼女は若くして先立ってしまいます。

節子へ秘かな恋心を抱いていた相原ですが、その恋は片思いのままついに成就することはありませんでした。そんな愛する“君”が微笑しながら亡くなったと聞き、誰のことを想ってほほ笑んでいたのかと嫉妬したというそういう歌です。

 

確かにこういったことを知っているのと知らないのとでは、歌の味わいがそれまでより格別なものになっていきますし、歌の持つ重みが全く違ってきますよね。他にもいろいろとご紹介したいのですがこの辺でやめておきます。

 

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「あなたと短歌」の中で、知花くららさんが短歌を詠むことを「出会いに付箋を貼る」と表現していたのですが、歌人の残した“付箋”をひとつまたひとつと紐解いていくことは「驚きと発見」の連続でした。“出会い”をこれほどまでに鮮烈に表現できるのか、そしてその“出会い”の背景にはこれだけ奥深いものがあったのかと。

 

また様々な苦境、人生の節目においてどう向き合うのかというヒントを与えてくれました。短歌というのは、思っているよりもずっとずっと偉大な可能性を秘めているのだと教えられた気がします。