自分の姿を薔薇に投影させてとも言われていますが、私の解釈はそれとは少しニュアンスが違います。どちらかといえば、薔薇から感じ取ったものを自分に投影させて代弁しているのではないのかと。どちらが正しいということではありません。ただ私にはそう感じたというだけです。
Kis-My-Ft2の千賀くんと横尾くんが唄う「蝶の王国」という楽曲があるのをご存じでしょうか。その歌詞が、プレバトの夏井いつき先生の「蝶語」という俳句の連作が元になっているのですが、その「蝶語」の誕生秘話を夏井先生がyoutubeで話されていました。ぼんやりと蝶を見ているうちに蝶の言葉が聴こえてきたのだとか。
枝葉のかげに隠れている薔薇を見ていて、同じような現象が牧水の身にも起きたのではないかと思えたのです。
仮にそうだとして、掲出歌の薔薇とっての悲しみって何?悲しみを浄化させるために花を咲かせるなんてことがありえるの? ・・・そんな考えが頭の中をめぐってきます。
でも、読めば読むほど、牧水が薔薇を対話していたように思えてなりません。歌人としての鋭い観察眼によって、物言わぬ薔薇の想いを感じ取り「そうか、お前はお前で大変だな」と寄り添っている、そんな一首のような気がしてならないのです。