本日、「サラダ記念日」だったから・・・。俵万智さんの「サラダ記念日」について語ってみることにします!!
この本の初版が販売されたのは1987年の5月。てことは、今からちょうど30年前。もうそんなに経っていたのか・・・と、ちょっと驚きでした。
なぜこの本をblogで取り上げようかと思ったかと申しますと・・・はい、そうです。今日がまさしく「サラダ記念日」だからです。
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」俵万智
これですね~。かなり有名な短歌なので、ご存知の方も多いかと思います。
「サラダ記念日」は、それこそ何十年も昔からウチの本棚にあってふとした時に手に取って読んでいた本でした。
前にも書いたことがあるのですが、私の詠む短歌は語るべき設定を吟味することで細かいシチュエーションを連想させることが多いです。それは「想い」を共有する幅を持たせるという意味があります。
対して、俵万智さんは些細な場面を写真のように切り取ることで広がりを持たせている、そんな短歌が多いような気がします。そして、切り取った場面がいちいち画になっていて、まるでドラマのワンシーンのようで強い憧れがありました。
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」というこの短歌もそうだけど、こういう恋人同士にありがちな王道のシチュエーションでありながら、ありそうでなかった・・・その手があったか・・・と思わせるところが俵万智さんは天下一品だなぁと、個人的には思っています。
わがカープのピンチも何か幸せな気分で見おり君にもたれて 俵万智
例えばこのように、何気ないんだけど恋をしたら誰もがこんな風になれたらいいなというような“ツボ”を確実に押さえてくるんですよね。
もちろんラブラブなシーンばかりではなく、ままならないもどかしさだったり、別れのような切ないシーンもあったりするのですが、それらを象徴するど真ん中を突いてくる演出が抜群に上手いので、心がギュッと刺激されます。やりすぎると逆効果だけど、ほんの少しだけあざとさを感じるぐらいのこの感じがね、絶妙なんですよね。
後に発売された歌集「チョコレート革命」のあとがきにて、「日記ではなく心を届ける手紙でありたい」とあったのですが、その“心”を届けるためのシーン設定・演出の巧みさは他の歌人さんとはどこか一線を画しているように思います。
あとがきに「生きることがうたうこと、うたうことが生きること」とあります。彼女の短歌に触れるとまさにそうなんだろうなと思うし、俵万智さんほどこの言葉がしっくりくるというか、深く納得させられる歌人さんはいないのではないかと感じています。
大げさに言ってしまえば息をするのと同じぐらい、それくらいに生活の中に短歌が根付いていなければおそらくこういった短歌は詠めないでしょうね。
私の場合は、瞑想に近い感じでぐーっと集中力を高めないと詠めないタイプなので、短歌を詠むというのは生活の一部というよりもむしろ特別感があって非日常ですらあります。
いいのか悪いのかわからないけどそんな感じなので、息づくように短歌が降りてくる状況というのは単純に羨ましいです。(笑)