東大山のさくらまつりま会場では、毎年、菊芋が売られています。以前から気にはなっていたものの、これまでは何となくスルーしていましたが、今年こそはと買ってみました。お店の方に聞いたところ、擦って味噌汁に入れてもおいしいとのことだったのでそうしてみたり、あとは素揚げしたり。生だとシャキシャキしていて、熱が加わるとほっこりの中にねっとりした食感。どちらかというとレンコンに近いかも。味はそこまでクセはなく、ほんのりとした甘味があります。
菊芋に含まれている主成分はデンプンではなく、イヌリンという水溶性の食物繊維。今でこそ「健康にいい」「珍しい」ってもてはやされている菊芋。糖尿病の食事療法などでも重宝されていますが、じゃがいもやさつまいもが手に入らないときの代替食材として扱われていた背景があります。なので、貧しい時代を象徴する食べ物という側面もあるんですよね。
たかが菊芋の味なのになぜ「口噤む」なのか。それは、貧しくて苦しかった時代の記憶や感情が匂い立つからなのかもしれません。この歌の作者である北沢郁子さんは1923年(大正12年)生まれ。。まさに戦火をくぐりぬけ生き抜いたひとり。「忘れしや」――あの味を、本当に忘れてしまったのだろうか? 戦中の生々しい描写ではなく、「忘れしや」というただ静かな問いかけが余計に、菊芋の味が呼び起こす記憶の重みがずしりと胸に響きます。
触れられたくない記憶って、伏せようとするほどぽこぽこ芽を出してくるもの。「苦しかった時代をもう語りたくない」という思いの奥に隠れた、「本当に忘れてしまっていいの?」「伝えなくていいの?」という平和への願いなのかもしれません。そうした問いかけと繰り返してはならないという強い願いが、形となって受け継がれてもいきます。やがて時代が進むにつれて、そうした記憶は少しずつ薄れていくのかもしれないけど、菊芋はそのひとかけらをそっと担ってる、そのことに気付かされた一首です。
ちなみに買ってきた菊芋は、ある程度は日持ちするからと油断していたら、いつの間にやら発芽してたり根が出ていたり。なので、スライスして干しておくことにしました。