季節が藤の季節とは限らないけど、藤棚のそばってベンチとかありそうで、「待つこと」が似合う場所ですよね。あの木の骨組みの下にぽつんとベンチがあって、少し日陰になってて、藤棚そのものがどこか「待つこと」や「過ぎていく時間」を受け入れているように見えるからかもしれません。
ぶらんこ、南南西、藤棚——って具体的に場所を示したあとでの、「待つてゐるから」があって。何があって、どういうふうにそう言ったのか。前段は一切触れていないけど、前段がどういうものだったかによって、「待つてゐるから」が意味するものや重みがまったく変わってくるのが面白いところです。
思い出の場所とかじゃなく、あそこにあれがあるからみたいな説明的なやりとりからして、相手とは恋人として親密な関係だとは思えないんですよね。初デートとかそれに近いような段階での会話であって、「あそこの公園に藤棚があるからそこで待ってるね」みたいな。私たち、付き合ってるってことでいいんだよね?と問いかけたくなるような、完全には恋人同士だと確信できないでいる微妙な距離感。
あるいは、よくある体育館の裏で待っていてみたいな、告白の定番のシチュエーション場面なのかもしれません。藤棚って、“大人になってからの体育館の裏”みたいなポジションなのかもしれない、そんな風にも思えてきます。
「南南西」「待つてゐるから」から、成熟しきっていない恋心の気配が透けている気がして、個人的にはそんな関係性を想像しました。