野辺みれば弥生の月のはつるまで まだうら若きさいたづまかな 藤原義孝
春の野を眺めているうちに、弥生の月が昇るほどの時が過ぎていた。
そこにいたのは、まだうら若く、目を引くような「さいたづま」であった──。
散歩をしていると、ふと目に留まる赤い虎杖の新芽。野の草が一斉に芽吹く春、そんな中でひときわ印象的なのが、この赤みを帯びた若芽です。今回は、和歌に詠まれている「さいたづま」や「月のはつるまで」が何を意味しているのかについて、いくつかの視点から掘り下げてみたいと思います。
さいたづま」は何を意味する?
「さいたづま」という語は、和歌の中でも極めて珍しい表現です。一見すると「咲いた妻」というようにも読めますが、この歌の舞台は春の野辺。人物描写というよりも、自然の中の何か、春の野辺に佇む植物を指していると考えらます。そこで注目されるのが「虎杖(いたどり)」です。虎杖はちょうど旧暦の弥生 (現在の4月)ごろ、赤みがかった新芽を野に伸ばします。まだ咲ききらず、柔らかく若々しいその姿は、「うら若き さいたづま」と表現するにふさわしい佇まいです。
もちろん「妻」とも読めますが、ここでは植物に重ねての表現と見る方が自然だと考えられます。明確な文献はありませんが、こうした虎杖の生態と歌の内容の一致から、「さいたづま」は虎杖の若芽を指すという解釈が次第に広まっていきました。
ちなみに義孝の妻は、源保光の娘。彼女がどのような人物であったのか、詳細はよくわかっていません。虎杖 (イタドリ)が、“痛みを取る”に由来するとされる通り、癒し系だったのかもしれませんね。
「月のはつるまで」──ただの時間ではない?
次に注目したいのは、「月のはつるまで」という時間の表現です。文字通りには「月が出るまで」と訳せますが、ここには単なる時間経過だけでなく、じっと何かを見つめる心の静けさや、命の一瞬の輝きへのまなざしが込められていると考えられます。
また、古典和歌において「月」はしばしば「別れ」や「死」の象徴でもあります。藤原義孝は、藤原一族の中でも卓越した地位を持つ藤原伊尹を父に持ち、藤原北家の名門に生まれ育った才色兼備として知られていました。しかし、その生涯は非常に短く、わずか21歳でこの世を去ります。その若さで命を絶たれた彼の人生を思い起こすと、「月が出るまで」という表現が、単なる時間の流れにとどまらず、生と死の狭間に漂う儚さや切なさを強く感じさせます。
また、義孝の息子である行成は、幼くして父である義孝が亡くなったため、母方の祖父である源保光の庇護のもとでに育てられました。義孝に劣らぬ才知を持ち、後に一条天皇に二后を進言するなど、宮廷での重要な役割を果たした人物としても知られています。
君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな 藤原義孝
あなたのためなら惜しくないと思っていた命だけれど、今はその命さえ、長くあってほしいと願うようになった。
清らかさの奥にあるもの
義孝は信仰心が強く、葷腥(香りの強い野菜や食肉)を絶っていたと言われています。虎杖は灰汁が強く、シュウ酸(蓚酸)を多く含む植物。なので、水にさらすなどの下処理を要しますし、少し独特な風味があります。義孝が意図して避けた食材の範疇に入るかどうかはともかく、そんな彼が虎杖に着目し、「若きさいたづまかな」と称賛しているところが、なんだか不思議な気がするんですよね。
もちろん、義孝が目を向けたのは、植物としての美しさや命の躍動感であり、食べ物としてではなく、自然の一部としての若さや新しさの魅力に引かれたからなのはわかるんです。そこはわかるんだけど、なんか不思議だなと思ってしまうこの感覚。葷腥を絶つような清らかな生活と、灰汁の強い虎杖へのまなざし。その矛盾に対するとりとめのなさを言語化するのは、とても難しいです。
一方で、「月のはつるまで」「長くもがなと思ひけるかな」と本音を漏らす心理を思えば、葷腥を絶ち身を慎むような彼が、野草であり、強い灰汁をもつ野のものに関心を寄せるのは必然であり、道理であるとも思えます。
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