シャーデンフロイデ(独: Schadenfreude)とは、自分が手を下すことなく他者が不幸、 悲しみ、苦しみ、失敗に見舞われたと見聞きした時に生じる、喜び、嬉しさといった快い感情。 Wikipediaより
自分の抱く感情は自分自身が一番知っているわけですが、常にいろんな感情が複雑に絡み合っています。単細胞の私でも一筋縄とはいかず、シャーデンフロイデのようなどす黒い感情が渦巻くときだってもちろんあります。表に出さないだけで、ざまあみろの心理は誰もが持っているものなのでしょう。
行き過ぎた同調圧力の根源ともいえる、シャーデンフロイデのような感情はマイナスなイメージしかありませんでした。協調性はもちろん大切ですが、執拗なまでに追い詰めて無個性を生み出す風潮に、なんだか息苦さを感じたりもします。
そんなシャーデンフロイデが、社会を守るために必要な感情だという記事を読んで、非常に興味深くなるほどと思ったのでシェアしたいと思います。
数理社会学的な立場からの見解になりますが、共同体の中で一人だけ目立って得をしてる人がいた場合、その人がその社会のリソースを集めて、タダ乗りしている可能性が否定できない。そうすると得になるのはリソースを供出しないタダ乗り戦略なので、みんなが得をしようとして、しかるべきリソースを出さなくなってしまう恐れがある。これを放置すれば、ヘタをすると共同体はあっという間に崩壊します。
それを避けるために、不当に得をしている人、あるいはそう見える人を みんなで寄ってたかって叩く。そのやり方を変えさせよう、共同体から消し去ろう、排除しようと激しい攻撃を加えます。ただ、攻撃や排除をしようとした相手から復讐されるリスクがあるので、相手が十分に強大で怖い場合には、この攻撃は起こりません。
菅 でもね中野先生、誰かを引きずり下ろしても、自分の立ち位置って変わらないですよね?
中野 共同体における相対的な地位は変わります。ただ、自分の持っている属性や能力はまったく変化しないですね。目立ってる人を叩くという行為は個人の利益のために行うのではないんです。じゃあなんでやるのかというと、社会を守ることが自分にとって間接的な利益となるからです。だから、喜びを感じるように仕組まれているんです。
引用元:『身の丈にあった勉強法』×『シャーデンフロイデ』刊行記念鼎談・第2回ロザン×中野信子「シャーデンフロイデは、社会を守るために必要な感情なんです」
例えば集団が2つあって、片方にはシャーデンフロイデのない人がほとんどだとしましょう。そこでは排除は起こらない。もう片方は、シャーデンフロイデのある人がほとんどで、周期的に排除が起こる。どちらの集団の方が、存続する確率が高いと思いますか? これは、シャーデンフロイデのある集団なんです。自然発生するかよそからやって来るかによらず、タダ乗りする人に搾取され尽くして、 シャーデンフロイデのない集団はいずれ崩壊してしまいます。
宇治原 社会としてはシャーデンフロイデがない方が滅びやすい。そこが面白いですよね。
中野 シャーデンフロイデがあった方が、社会としては強靭であるということになるわけです。
引用元:『身の丈にあった勉強法』×『シャーデンフロイデ』刊行記念鼎談・第2回ロザン×中野信子「シャーデンフロイデは、社会を守るために必要な感情なんです」
・・・なるほどねぇ。
日本という国は、国民性として同調圧力が強めの社会だと思われていますし、実際そうなのだと思います。記事を読むと、だからこそ世界的にも類を見ないほど続いている側面もあるのかなと思ったりもします。
誹謗中傷やいじめはもちろん絶対にしてはダメなのですが、協調性を重んじる気質自体は、決して悪いことばかりではないのかもしれません。いろいろ考えさせられる記事でした。
あくまでも自分の人生なので、バランスを取りつつ、自分主体で自分らしさというのは持ち続けていたいなと思います。