すっかり恒例となりました、直虎さんゆかりの地シリーズです。今回は、ぜひ一度は訪れてみたいと思っていた頭陀寺周辺をめぐってきました。
頭陀寺
文武天皇の夢枕に薬師如来が現れ、お告げを受けたことがきっかけで建てられました。第二次大戦によって焼失したため建物自体は新しいですが、浜松で一番歴史の古いお寺として知られています。
願掛三尊
奥に写っているのが、頭陀寺資料館。後にご紹介する松下屋敷の模型や資料などが展示してあります。
あと、歴史学者の磯田道史氏とともに頭陀寺を訪れるみたいなバスツアーの企画が過去にあったみたいで、その模様がビデオで流れていました。ちょっとした畳スペースでそれを見ていたのですが、磯田氏の解説がなかなか興味深くて面白かったです。
本堂
役行者堂・供養塚
米軍の艦砲射撃により、かなりの打撃を受けてしまった痕跡が残っています。
ここらは、空襲よりも海からの艦砲射撃によって被害を受けたみたいです。(by磯田氏)
松下稲荷大明神
當山の鎮守堂であり、お稲荷さんが祀られています。松下屋敷から移設されたものであり、磯田氏の解説によれば直虎さん達も祈願していたであろうということでした。
馬頭観音堂
三公像
左から、豊臣秀吉、徳川家康、井伊直政。後ほど紹介しますが、「松下屋敷」にゆかりの深い3人です。
胡瓜封じ穴
胡瓜を身代わりとして奉納することで災いを封じ込める習わしがあるようです。
頭陀寺
〒430-0817静岡県浜松市南区頭陀寺町 2-4 TEL053-463-8170
頭陀寺から松下屋敷跡へと向かう道
この道は昔からずっとある道で、それこそ直虎さんも幾度となく通ったであろうということです。(by磯田氏)
松下屋敷跡
戦国武将・松下嘉兵衛之綱の館跡であり、「頭陀寺城」とも呼ばれています。頭陀寺から歩いてすぐのところにある公園内に、屋敷跡の石碑があります。井伊直政の生母は、夫・直親と死別した後、松下氏の一門である松下清景と再婚し直政はその養子となりました。また、家康が竹千代として今川の人質だったころに度々訪れたり、秀吉が幼少期に奉公していた場所でもあります。
石碑と向かって、右側にカッパ寿司があります。で、直虎さんらが松下屋敷を訪れたときに通されるのが、建物が建っている前のほうあたりだそうです。また、赤い自販機が建っているあたりには池だったそうで、割れてしまって池に放りこまれた茶碗なんかがいつくも発掘されています。(by磯田氏)
こうすると、位置関係がよりわかりやすいかな。
・・・なんか、こういうのってブラタモリっぽいですな。(笑)
熊野神社
江戸時代まで頭陀寺の鎮守として祀られていましたが、明治になると神仏分離令によって境内から分離されました。松下屋敷跡がある公園に隣接しています。
鎌研池
秀吉がまだ松下屋敷に奉公していたとき、この池で鎌を研いでその切れ味を試そうと葦の片葉ばかり切っていたところ、いつしか片葉の葦が生えてくるようになったという伝説があります。遠州七不思議のひとつ。
ちなみに、この時に生えていた葦は片葉ではなく両葉ばかりでした。
また、若き日の秀吉が松葉をメダカの眼を狙って手裏剣の練習をしていたことから片目のメダカが現れるようになったいう伝説もあります。鎌研池から少し離れた場所ですが、その伝説に基づいた「目刺橋」という橋があります。