「夕雲の輝くごとき」「その比喩ひとつ抱いてねむる」表現が圧倒的にお洒落じゃないですか? 好きなんですよね、こういう世界観。さぞや美しい菊だったのでしょうね。ありありと伝わってきます。

 

本日は重陽の節句。といっても、特に何をするわけでもないし、菊の花を見かけることすらもなかったんですけどね。とはいえ、気分だけでもと思って、Twitterの画像をちらっと追ってみたりして。こんな感じの菊だったのかなぁとか思いながら。

 

 

・・・で、これを書きながらふと思ったのです。「夕雲の輝くごとき」って、菊に乗っかっている綿のこと? もしかして「菊綿」のことを詠んでいる? 考えすぎ?たまたまそういう画像を目にしたからそう思うだけ?

 

そんな風に考えを巡らせながらの「重陽の節句」も、これはこれで悪くないです。

 

 

 

※「菊綿」・・・平安時代の貴族の習慣で、重陽の日に菊の花に植物染料で染めた黄色の真綿を被せ、明くる早朝に朝露を含んだ綿を菊より外し、その綿で体を拭えば菊の薬効により無病であるという。(Wikipediaより)