万葉集特集です。今回は、天武天皇の皇子・皇女のもうひとつの恋物語です。

 

主な登場人物である但馬皇女穂積皇子高市皇子の父親は天武天皇ですが、母親がそれぞれに違います。

 

女性関係が派手だった天武天皇と関係があったのは以下の10名。

鸕野讃良皇女(持統天皇) ・大田皇女 ・大江皇女 ・新田部皇女  ・氷上娘  ・五百重娘  ・蘇我大蕤娘 ・額田王 ・尼子娘 ・かじ媛

 

但馬皇女の母親は氷上娘、穂積皇子の母親は蘇我大蕤娘、高市皇子の母親は尼子娘となります。

 

***

 

当時、但馬皇女は高市皇子の宮殿にいました。夫婦だった、正式な夫婦ではなく同棲していた、長男である高市皇子が但馬皇女を養っていたetc・・・2人の関係性は諸説あります。

 

高市皇子といえば、額田王と大海人皇子(天武天皇)の皇女であり、大友皇子の正妃となった・十市皇女に想いを寄せていたとも言われています。十市皇女が亡くなったときには次のような挽歌を詠まれています。

高市皇子が詠んだ十市皇女への挽歌

みもろの神の神杉已具耳矣自得見監乍共寝ねぬ夜ぞ多き 高市皇子
三輪山の神の神杉のように神々しいあなたを想って眠れない夜が多いのです。

神山の山邊真蘇木綿みじか木綿かくのみ故に長くと思ひき 高市皇子
三輪山の真麻でできる木綿は思いのほか短かいけど、木綿とは違ってあなたの命は長いものだと思っていました。

山吹の立ちよそひたる山清水汲みに行かめど道の知らなく 高市皇子
山吹の花が咲いている場所の山清水を汲みに行きたいけれど、そこまでの道が分からないのです。

 

但馬皇女はいつしか穂積皇子に激しく惹かれてゆくのですが、いずれにせよそれは道ならぬ恋なのでした。

 

穂積皇子への激しい恋心

但馬皇女が穂積皇子を想って詠んだ和歌

秋の田の穂向きの寄れる片寄りに君に寄りなな言痛かりとも  但馬皇女
秋の田の稲穂が片方に寄るようにあなたに寄り添いたいのです。誰かの言葉に心痛めても

穂積皇子との仲が露見し、但馬皇女が詠んだ和歌

人言を繁み言痛みおのが世にいまだ渡らぬ朝川渡る 但馬皇女
人の噂が絶えないので、いまだかつて渡ったことのない朝川を渡ります。

 

このスキャンダルを憂慮され、ヤキモキしていたのが持統天皇。穂積皇子は、法事などの名目で志賀の山寺・崇福寺(すうふくじ)に閑居されることになったのです。

 

ますます募る穂積皇子への想い

こうなると但馬皇女の想いはますます募ってゆくばかり。当時は女性が男性を訪ねることなどありえないのですが、それほど思い詰めるまでに恋い焦がれていたと言えます。

穂積皇子氏が崇福寺(すうふくじ)に閑居されたときに詠まれた和歌

 後れ居て恋ひつつあらずは追ひ及かむ道の隈廻に標結へ我が背 但馬皇女
残されてあなたを想うだけなんて・・・。追いついて行けるよう道の曲がり角に印をつけておいてください、あなた。

 

また、いつ詠まれたものか定かではありませんが、万葉集には2人のこんなやり取りも収録されています。

穂積皇子と但馬皇女が交わした相聞歌

今朝の朝明雁が音聞きつ春日山 もみちにけらし我が心痛し 穂積皇子
夜明けに雁の鳴き声を聞き、春日山も色づいただろうかと想いを馳せる私の心は何故か痛みます。

言繁き里に住まずは今朝鳴きし雁にたぐひて行かましものを 但馬皇女
噂の絶えない里になんか住まないで、今朝鳴いていたという雁とともにどこかに行ってしまいたいものです。

 

穂積皇子は、但馬皇女が亡くなったときに挽歌を寄せています。

但馬皇女を偲んで穂積皇子が詠んだ挽歌

降る雪はあはにな降りそ吉隠の猪養の岡の寒からまくに 穂積皇子
雪よ、そんなに強く降ってくれるな。吉隠の猪養の岡に眠るあの人が寒がるから。

 

穂積皇子の晩年の恋

家にありし櫃に鑠さし蔵めてし恋の奴のつかみかかりて 穂積皇子
家にある櫃に鍵をかけてしまったはずの恋の奴めがまたつかみかかってきよった。

 

穂積皇子は、晩年になるとまだ10代だった大伴坂上郎女を娶ります。尚、大判坂上郎女は、あの「令和」の語源となった宴の中心人物である大伴旅人の異母妹にあたります。『万葉集』には、長歌・短歌合わせて84首も収録されており、最も代表的な女流歌人です。

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