万葉集には、天皇をはじめたとした歴史を大きく揺るがした中心人物の和歌が数多く掲載されています。そこで、おおざっぱでも歴史的背景とそこにまつわる相関関係を把握しておくことで、どういう立場の人物が、どういう状況で歌を詠んだのかがより理解しやすくやります。
そこでまず、知っていただきたいのが天智天皇と天武天皇の二人。あの歴史で習う「大化の改新」や「壬申の乱」を起こした中心的人物です。二人は実の兄弟なのですが、兄弟そろって数多くの女性と関係しており、その女性たちとの間に設けた皇子・皇女が大勢います。
万葉集には天智天皇・天武天皇はもちろん、二人を取り巻く女性たちや皇子・皇女の歌も数多く収録されています。そのため、ここの系譜をおさえておかなければ、例えば〇〇皇子が〇〇皇女に送った和歌とかあっても、大勢いる〇〇皇子と〇〇皇女がごっちゃになって何がなんだかさっぱりわからなくなってしまうのです。
まずは、天智天皇・天武天皇をめぐる女性関係をみていくことにしましょう。
天智天皇の女性関係
正妃・倭姫王との間には子供はいませんが、蘇我遠智娘をはじめとする8名の側室や宮人たちとの間に16名(あるいは14名 ※架空説のある人物あり)の皇子・皇女に恵まれます。
天智天皇と関係し、皇子・皇女の母となったのは以下の8名。
・蘇我遠智娘 ・蘇我姪姫 ・蘇我常陸娘 ・阿倍橘娘 ・道君伊羅都売 ・宅子娘 ・忍海造色夫古娘 ・栗隈首黒媛娘
天武天皇の女性関係
天武天皇は、蘇我遠智娘の娘である皇后・鸕野讃良皇女(持統天皇)の間に一子(草壁皇子)を設けるほか、9名の側室や宮人たちとの間に16名の皇子・皇女を設けます。
天武天皇と関係し、皇子・皇女の母となったのは以下の10名。
・鸕野讃良皇女(持統天皇) ・大田皇女 ・大江皇女 ・新田部皇女 ・氷上娘 ・五百重娘 ・蘇我大蕤娘 ・額田王 ・尼子娘 ・かじ媛
さらっと書きましたが、天武天皇に嫁いだ鸕野讃良皇女(持統天皇)は、蘇我遠智娘の娘であり父親は天智天皇。そして、同じく天武天皇に嫁いだ大田皇女は鸕野讃良皇女の実の姉にあたります。先に述べたように、天智天皇と天武天皇は実の兄弟。つまり、天武天皇は姪っ子姉妹を娶ったということになるのです。
また、蘇我遠智娘にとって蘇我姪姫は同母の妹であり、大田皇女・鸕野讃良皇女(持統天皇))姉妹とっての叔母にあたります。さらに、天智天皇に嫁いだ蘇我常陸娘と、天武天皇に嫁いだ蘇我大蕤娘は同母の姉妹であり、大田皇女・鸕野讃良皇女(持統天皇)姉妹とは従姉妹同士の関係にあたります。
さらに天智天皇は、阿倍橘娘との間に生まれた大江皇女と、忍海造色夫古娘との間に生まれた新田部皇女も、天武天皇の元へ嫁つがせています。
天智天皇(中大兄皇子)と大化の改新
天智天皇(中大兄皇子)は、蘇我遠智娘の父・蘇我倉山田石川麻呂や中臣鎌足らと画策し、蘇我入鹿を暗殺するクーデターを起こします。(乙巳の変) これを皮切りに政治改革を行ったのが、いわゆる歴史で習う「大化の改新」です。これにより蘇我倉山田石川麻呂は右大臣へと昇進しますが、やがてその蘇我倉山田石川麻呂をも死へと追いやり、天皇へ即位するための足掛かりとします。
蘇我遠智娘は、夫に父親を殺されたショックで間もなく亡くなったと言われ、娘である大田皇女・鸕野讃良皇女姉妹はのちに叔父である天武天皇へと嫁ぐことになります。
天武天皇(大海人皇子)と壬申の乱
天智天皇の後継をめぐる中、皇后・倭姫王の後ろ盾もあって宅子娘との間に生まれた大友皇子(弘文天皇)の勢力が徐々に強まっていきます。立場が危うくなった大海人皇子(天武天皇)は出家し、いったん吉野に身を隠します。そのときのことを振り返ったの次の和歌です。
み吉野の 耳我の峰に 時なくぞ 雪は降りける 間なくそ 雨は零りける その雪の 時なきが如 その雨の 間なきが如 隈もおちず 思ひつつぞ来し その山道を (大海人皇子)
吉野の耳我の山には、時知れず雪が降り絶え間なく雨が降る。その絶え間ない雪や雨のごとくに思案にふけりながらやってきた。その山道を
後に大友皇子(弘文天皇)が天皇に即位しますが、大海人皇子(天武天皇)によるクーデター【壬申の乱】により自害。大海人皇子(天武天皇)が天皇に即位することになるのです。
額田王をめぐる確執
なぜ大海人皇子(天武天皇)のもとに大田皇女・鸕野讃良皇女姉妹らが嫁ぐことになったのかといえば、もともと大海人皇子(天武天皇)に嫁いでいた額田王を天智天皇が欲しがり、娘を嫁がせるから額田王をよこせと要求したからとも言われています。
額田王は、大海人皇子(天武天皇)との間に大友皇子の正妃となる・十市皇女を設けますが、大海人皇子(天武天皇)のもとを去って天智天皇の後宮となります。
額田王をめぐるこうしたことが、天智天皇と天武天皇の間に少なからず確執を生み、壬申の乱へとつながったとの見方もあるのです。。
天武天皇と額田王との和歌のやりとり
茜指す紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(額田王)
狩場の標(しめ)を張った野へと繰り出すのを野守は見ていないのでしょうか。あなたが袖を振るその様を。
紫の匂へる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも(大海人皇子)
紫草のように香るあなたのことを憎く思うなら、人妻なのに恋い慕うことはありません。
昔は、袖を振ることは求愛を意味していました。といっても、これは相聞歌というよりも酒の席での冗談だという説が濃厚のようです。「そんなことしたら私たちの仲が野守にバレちゃうじゃない」とからかった額田王が、「(兄の元へ嫁いだ)あなたのことを憎く思うなら、人妻なのに恋なんてしないよ」と面白半分に天武天皇が応じたものだとされています。
天智天皇&天武天皇と額田王との間には、他にも和歌をやりとりしているのでそれはまた追々ご紹介することにします。
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なんせ、天智天皇・天武天皇には皇子・皇女がとんでもなく大勢いるのでね。まずはざっとでもそれぞれの女性関係を把握しておかなければ、後に出てくる皇子・皇女たちの人間模様がわかりづらいんです。(^^;)
・・・というわけで、今回は天智天皇・天武天皇の即位にまつわる話と、二人に関係にする女性たちのお話でした。
では、また~。