本日は重陽の節句。重陽の節句の前日に菊の花に綿をかぶせ、その翌日に菊の香りの含んだ夜露を染み込ませた綿で顔や肌を拭って長寿を願う風習があります。一説によれば、たくさんのキクが自生する中国のとある村がとても長寿で、その秘訣が菊の花を伝って流れた川の水を飲んでいるからという「菊水伝説」にあやかったものだとされています。
菊の花若ゆばかりに袖ふれて花のあるじに千代はゆずらむ 紫式部
菊の露は若返る程度に袖に触れさせていただいて、花の持ち主であるあなた様に年の寿命はお譲りしたいと存じます
菊の香りや露を染み込ませた綿を「菊の着せ綿」といいますが、藤原道長の正妻である源倫子より「とり分きていとよう、老拭ひ捨て給へと、のたまはせつる (とりわけよく老いを拭いなさい)」と菊の着せ綿が送られ、その返歌として紫式部が詠んだものが掲出歌。
素直に読めば「少し触れさせていただくだけで十分です」という謙遜ですが、穿った見方をすれば「(老いを拭う必要があるのは)私じゃなくて貴女のほうでは?」という意味にもとれます。紫式部といえば藤原道長の召人だったという説もありますがどうなんでしょうね。
重陽の節句は「菊の節句」とも呼ばれておりますが、古事記や万葉集には菊の花に関する記述が一切ないことから、日本に菊の花が渡来したのは奈良時代末期か平安初期だと推定されています。後鳥羽院が菊の紋を好んで用いたことから、しだいに菊の紋が皇室を示す紋として定着していきました。