昨日は、七十二候の中では秋分の初候にあたる秋分の日。初候から5日間は「雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)」、すなわち暦の上では雷が収まってくる頃だと言われていますが、昨日は地元の愛知県は線状降水帯が発生し、夜遅くまでピカッと雷が光っていました。何しろ緊急速報メールがくるぐらい雨がすごかったので、雷鳴よりもそっちの音の方が凄まじかったです。

 

逢うことは雲居はるかになる神の音に聞きつつ恋ひわたるかな 紀貫之
逢うことは遠く及ばず、遙か彼方に鳴る雷の音を聞きつつ(あなたの噂話をたよりに) 思いを募らせているのです。

 

この歌の面白い所は、「逢うことははるか・・・音に聞きつつ恋ひわたるかな」という心象に「雲居はるかに鳴る神の音」という現象を組み込んでいるところ。しかも「はるかに」が、逢うことが「はるか」、そして「はるか」遠くで鳴っている意の掛詞になっているんですよね。さらに、「鳴る」と「成る」でも掛詞になっていて、古今和歌集らしい技巧的な歌になっています。

 

正岡子規は、紀貫之のこういった技巧をすごく嫌っていたようですが、個人的にはそこがらしくて好きだったりします。自分も短歌を詠むときは、あーでもないこーでもないと気が済むまで言葉をあっちこっちとこねくり回したりもするから、それで余計にそう思うのかもしれません。

 

なる神(鳴神)とはすなわち雷のことですが、畏れ多いものの象徴として用いられることが多かったようです。

 

 

天の原踏みとどろかし鳴る神も思ふ仲をばさくるものかは 詠み人知らず
大空を踏み轟かして鳴る雷でさえ、愛し合っている私達二人の仲を引き裂くことなどできはしない。

 

こちらも同じく雷を詠んだ歌で古今和歌集に収めらている歌。ずいぶんと対称的ですね。