ありがたいことに、今年はいろんな方から梨をいただくことが多く、今も冷蔵庫にいくつか冷やしてあります。少し酸味があったり、さわやかな甘さが特徴だったり、ラ・フランスのように芳醇だったり。一口に梨といっても、種類によってまったく違う味わいを見せてくれますよね。まだ暑い日が続いていますが、シャリッとした梨の冷たさが心地よく染みわたります。
梨は瑞々しくて、傷みやすい儚さを持つ果実。その姿に自分の「魂」を重ね、壊れやすさ・守られるべき存在として扱う感覚が、「たましいを預けるように」の表現からもにじみ出ています。
梨の瑞々しさを保つために、冷蔵庫という人工的で浅い闇に眠らせる。ごく当たり前の行為であるはずなのに、どこか相反するものを感じてしまうのは、守られるべき梨の瑞々しさや命の気配を、冷蔵庫という冷たく無機質な空間にゆだねているアンバランスさと、「闇をふふみて」という表現のせいかもしれません。
こうしたアンバランスは、生活しているうえでいろんなところに潜んでいます。例えば・・・温かいご飯を保つための炊飯器では、熱という温もりと無機質なプラスチックの組み合わせが同居しています。そうやって身近なものに置き換えて考えてみると、少し大げさに思える「たましいを預けるように」という比喩も、自分事としてしっくりくるように思えてきます。
「ふふみて」とは「含んでいる」という意味。冷蔵庫の扉を閉じれば、暗闇がその中身を覆うわけですが、それは完全な暗黒ではなく、浅くてすぐに光を取り戻せる仄暗さです。そこに梨を置くことは、ただ保存するだけではなく、魂を静かに守り、やがて再び目覚めさせるような営みにも思えてきます。ひんやりとした空気の中で光を受ける梨を見ると、そんな余韻がふっと重なってきます。