NGT48の山口真帆さんが暴行被害に遭われた事件が、連日ニュースを賑わせています。ニュースを見て感じたのは、まさにこういうことでした。

 

報道されている一連のことはメディアを通じて知ってはいますが、事件に関与する事情や背景を本当の意味では(←ここ重要) 知りません。

 

先日の記事でもちらっと書いた通り、「こういうことがあったという出来事だけでは本当のところは判断できない」と考えているので、あの人がどうとかこの人がどうとかこのblogで語るつもりはありません。

 

ただ、「破滅へと追いやるようなカラクリ」がどこかにあった・・・あるいはまだ仕組まれていることは確かだと思うのです。どのような処分を下すとか公表するとかしないとかそういうことはまた別の問題として、運営側は「カラクリ」のすべてを解きほぐし、山口さんをはじめメンバーの安全を護る責任と義務があると個人的には思います。

 

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こういった「カラクリ」はさ、“大義名分”を隠れ蓑にしていたりして実に巧妙だったりするから厄介なんだよね。周りに気づかせないテクニックにやたら長けていて。それに、やった側は制裁を逃れさえすればそれでよく、罪悪感なんてこれっぽっちもない場合がほとんどかもしれないね。

 

だとしたら、それこそドラマ「3年A組 ―今から皆さんは、人質です―」のブッキーこと柊一颯先生の「授業」のような手荒いやり方でしか、本当の意味で改心させ懺悔させる方法はないのかもしれない・・・なんてことを考えてしまったりしてね。

 

いや、それは冗談よ、冗談。冗談なんだけどさ。

 

・・・ただね。こう言うとちょっと語弊があるのかもしれないけど、あのドラマの中の生徒&教員とNGT48のメンバー&運営ってどこか通ずるものがあるなぁと感じてしまったのよね。どことなく。

 

あのドラマの中で「お前に欠けていたのは痛みを想像する想像力だ」というセリフがあったんだけど、ホントにその通りだと思うのですよ。