冴希語録ということで、このblogに掲載された過去Tweetをまとめてみました。
油断すると喪失感にのまれそうになる。だからこそ言葉の温かみを知ることもある。言葉は人を傷つけるけど救うことだってできる。私もそんな言葉を届けたい。
— 朝倉冴希@短歌 (@dassan34) March 30, 2020
シンパシーまたはエンパシーを感じることで心を浄化させてくれたり、気にも留めなかった視点や言われてみればそうかもという気づきを与えられることによってそれまでの見え方が変わってくる・・・。暮らしの中でそういう役割を果たしてくれるのが詩歌。
— 朝倉冴希@短歌 (@dassan34) February 19, 2020
技巧的なことより、そういう詩歌本来の役割を全うさせてあげる、そういうことのほうがよほど重要なのではないかと思ったりする。
— 朝倉冴希@短歌 (@dassan34) February 19, 2020
私にとって、短歌を詠むうえで最も優先されるべきこと。それができなければ、それは朝倉冴希の作品ではなくなるから。
— 朝倉冴希@短歌 (@dassan34) October 25, 2019
形が整う前の“短歌らしきもの”というのは、割と簡単にできる。ただし、それは単に言葉を並べて57577に近づけただけのおよそ短歌とは呼べない代物。膨大な時間をかけて“短歌らしきもの”ができても、その大半は使い物にならない。
— 朝倉冴希@短歌 (@dassan34) 2018年3月16日
もちろん、意図的にリズムを崩して滞空時間を長くさせようとする手段もあるけど、言葉を厳選したうえなのかそうでないのかというのは大きな差がある。つまりどんな形式を選ぼうと洗練されていることが大事。
— 朝倉冴希@短歌 (@dassan34) 2018年3月16日
添削コーナーなんかで、視点が面白かったりすごくいいものを持っているのに、リズムや言葉選びが中途半端なせいで良さを生かしきれていないという旨の評をよく見る。つまりこれは、その一首にかける手間のかけかたが足りていなかったということだと思う。
—朝倉冴希@短歌 (@dassan34) 2018年3月16日