ナーシャ・ジベリ(Nasir Gebelli)は、主にスクウェア(現スクウェア・エニックス)のゲーム開発者として知られ、特に「ファイナルファンタジー」シリーズ、「ハイウェイスター」などのプログラマーとして有名です。私自身はゲームをほとんどしないので全然詳しくなくて、友達や姪っ子ちゃんに付き合ってちょこっと触らせてもらったくらい。すぐにゲームオーバーになってしまう私と違って、次々とステージをクリアしていくのを、ほー、すごいなと感心しながら見ているだけ。
ただ、子供のころに熱中していたゲームの生みの親に憧れ、その才能に羨望する気持ちはわかる気がします。どれほど熱狂し、夢中になっていたかを実感しているからこそ、そこまで人を魅了する何かを作りだせる才能を羨ましいし、“奇術”なのだと思えるのでしょうね。
「羨しゑ」や「恋しゑ」のように、「ゑ」を用いた終止形の表現は、現代短歌では非常に珍しいですが、羨望の気持ちを古語の表現を用いて強調していると解釈できます。「奇術」「羨しゑ」に、自分の時間をまるごと差し出してしまうような、それほどの没入感を与えてくれた“何か”を作れることに対するリスペクトが自然と伝わってきます。
ゲームに限らず、誰かの才能や創作物に心を持っていかれてしまう瞬間があり、時にはそれが人生を変えてしまうこともあります。誰かの心を震わせたり、人生の風向きを変えてしまうような“何か”を生み出せたり、感動を与えることができる人。私も、そういう存在に出会うたびに、心の底から「羨しゑ」と思ってしまいます。
昨日は推しのLIVEがあったのですが、たくさん声を上げてめちゃくちゃ楽しんでの最高なステージ。その輝きを目の前にして、やっぱり最大級の「羨しゑ」を感じてしまった、そんな素敵な夜でした。