先日は、掲出歌とおなじように薔薇苑に行ってきました。色とりどりの薔薇が幾重にも咲き誇って、まさに「はなびらの迷路」という表現がぴったりの場所。花のトンネル、曲がりくねる小径、そこを歩く人々の姿。薔薇を目の前にすれば香りを嗅ぎたがる私は、地図を片手に持ちながらひたすらクンクンクンクン。どこか目的を持っているようで、実はただ薔薇の中を迷っているようにも見えたかもしれません。
蟻って、アリは匂いで敵味方を識別しているので、匂いがそれっぽければ“同族”と判断してしまうし、それが崩されると同族でも“敵”と判断されてしまいます。アリが高度な社会を築いているからこそ、こうした“化学的なウソ”が通用してしまうというのを本で読んだことがあります。人間もまた言語、文化、外見、意見、こうした“匂い”のような要素で、無意識のうちに仲間かどうかを判断しています。そしてそれが崩れたとき、違和感を覚えたり、警戒したり、排除したり──。比喩
俯瞰から眺める人間の動きは、ちょこまかしていて蟻に喩えられたりしますね。まるで人間社会の縮図のようだなって本を読んだときに思ったのですが、「蟻のような人間」がこうして視覚だけでなく、詩的なビジュアルとして浮かび上がると、なおのこと不思議な感覚になります。
美しい薔薇の間合いを歩く人間を俯瞰で眺めながら「蟻みたいだな」と思っていた私。薔薇苑の小径を歩く自分のすぐ足元にいたはずの“ほんとうの蟻”のことは、まったく考えていなかったことに、今さらながら気づきました。