NHKのEテレで再放送されていた「こころの時代~宗教・人生~」という番組で、歌人の馬場あき子さん(91)が出演されていました。馬場さんは、朝日歌壇の選者として知られる大御所。能をはじめとする古典芸能や、「鬼の研究」という本を出版されるほど民俗学に精通されています。
91歳にして矍鑠した軽やかな身のこなしと品格、凜とした知性あふれる話しぶり。こうありたいと強く憧れるけど、なかなかできることではありませんね。映しだされた自宅部屋を占拠している膨大な本と資料の数がね、それを物語っていました。
十年の我生ひ立ちよそのままにすべては焼けて 塵も残らず 馬場あき子
戦争が終わった焼野原の中で、人間が人間としてではなく「物」として扱われていたことに気づいたという馬場さん。後に教員となった馬場さんは、生徒に何を教えようとしたのかという問いに対して「人間ですよ」と即答。学生運動などで激化する教え子たちの中に「鬼」を感じたという馬場さん。「鬼」の根底には「自分の悲しみや運命を知ってもらいたい」という想いがあるのだといいます。
インタビュアー
そうすると、鬼って何でしょう?
馬場さん
情念ですよ、情念。何か人間がひとつの事に対してある情熱を燃やす事ですよ。それって鬼ですよ。
馬場さん
心に一匹の鬼を飼うことが大事。
馬場さん
私は愛しているんですよ、鬼を。
この言葉が、深く心に刺さりました。
以下、健忘禄として印象に残った言葉をまとめておきます。
馬場さん
(般若の面は) 口には怒りが出てるけど、表情に悲しみが感じられるんですよ。
馬場さん
これしちゃダメ、あれしちゃダメ・・・それも壁なんですよ。本当はね、規約だとか法律なんてないほうんがいいんですよ。たけど今はそれで縛ってきてるでしょ。だからますますそれに触れないようにしか生きられないじゃない。ものすごく駄目な時代になってるわけね。で、最後にどうするんだろうかというとね。・・・まっ、言いたかないけど、戦前だってそうだったわけですよ。あれしちゃいけない、これしちゃいけない、どんどんどんどん周りが縛られて(身体を縮めて)こうなってね。・・・そんな中で何かが始まるわけですよ。
馬場さん
全国の庶民たちがどんな暮らしをしているのか、何に興味をもって、どんな人間的なつながりを持っているのかってとても魅力的なことなんですよね。
馬場さん
毎年、毎年、桜を詠む。毎年、毎年、百合を詠む。庭に咲いてればね。そうすれば、その百合の花そのものの詠みかたによって自分の人生の変化とかなんかが出てくるわけで、それもなかなか面白いですね。昔の人は、春になると必ず桜を詠んだでしょ?50年間桜を詠んだら、桜の歌だけ見てもその人の人生の想いの変化というものが出てくるわけですね。
馬場さん
日本が植民地を持ったとき、あれは非常に私は卑劣だと思うけど言葉を奪った。あれは卑劣な政策だったと思うんですね。だけど私たちは、やっぱりどんな窮服に遭っても言葉を守る。短歌はそれを守れるひとつの道具だと思うんです。
馬場さん
器はあくまでも砥石ですから。言葉を、日本語を磨く型、砥石だと思って。その砥石にかけて日本語を磨くことが大事。
馬場さん
原点の水は小さいけれども、だんだんだんだんそれが裾に広がるにしたがって大きくなっていく。そういう気持ちでもって歌も詠んでいったらいいんじゃないかしらね。