ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明の月ぞのこれる 後徳大寺左大臣
ほととぎすの鳴くほうを眺めてみれば、ただ有明の月が残されているだけである。

 

ここらでも、数日前からホトトギスの鳴き声が聞こえるようになりました。あの鳴き声は、「テッペンカケタカ」だとか「トッキョキョカキョク」だとか、いろんな風に言い表されていますよね。今朝も、元気のいい声が空に響いていたのですが——そういえば、姿はまだ見ていません。

 

鳴き声がしていて、確かにそこにいるはずなのにどこにも姿が見えず。音と視覚のズレ。うぐいすとかツクツクボウシとか、自然の中ではあるあるですね。音が過ぎ去ったあとの余韻や静けさ、もの寂しさ。それもあるのですが、視線を向けた先にあるのが “月”というのが、なんとも風情があって粋だなぁと思うのです。

 

後徳大寺左大臣(藤原実定)は、『百人一首』の撰者として知られる藤原定家の従兄弟にあたります。貴族たちの間では、夜を徹してほととぎすの初音を待つというなんとも風流な遊びが流行っていたそうで、ホトトギスに対する思い入れも今とはまたずいぶん違っていたのでしょうね。そこまで待ちわびることはないにしても「鳴かぬなら・・・」と喩えられるホトトギスの鳴き声。あの鳴き声が聞こえると賑やかしく初夏を感じさせてくれて、夜を徹してでも待ちわびる気持ちはわかる気がします。

 

ちなみに今朝、私の視線の先にあったのは、うっすらと雲がかかった青みがかった空と、風にゆれる木々たちでした。