俵万智さんのコラム( 新潮社 波 2019年9月号 掲載 )で紹介されていた九螺ささらさんの短歌。 ネットサーフィンしていて偶然見つけました。  

歌人・俵万智が“いくらでも読んでいられる”と思った「九螺ささら」の凄さとは?

 

 

字が飛び込んだ瞬間に、あっ、これめっちゃ好き!!となった一首です。歌集「 きえもの」に掲載されてある 「素麺」というタイトルの連作の中の一首で、素麺をお湯に入れたときにすぐグニャッとなるあの瞬間の映像がまず浮かんできます。

            

人の初めから終わりというのは、 例えば若いころは真っすぐピンと伸びた背すじが、年老いてだんだんと“し”の字に曲がってきたりとかそういうことだったりもするんでしょうね。     

            

それを素麺が茹っていく様子がそのようだ言われれば、あーなるほどと思うけど発想としてはかなり斬新。視点の鋭さや柔軟性が羨ましいです。素麺だけではなく、パスタなどを茹でる時でも頭に浮かんできそうな一首。

 

できれば“し”の字じゃなくて、いつまでもまっすぐピンとした背筋でいたいと思うんですけどねぇ。ストレッチ的なことは気づいたらするようにはしているんですけど、油断するとすぐ猫背になっちゃう私。そこらじゅうパッキパキだし。(;^ω^)

 

 

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流しそうめんといえば、小学生の頃に子供会かなにかのイベントでやったことがあってそのワクワク感をまた味わいたい願望が秘かにあります。  

 

ウチはすぐそばが竹林で、地主さんに竹を分けていただくことは可能なのでやろうと思えはできないことはないんですけどね。以前、お盆に親戚が集まったときにやろうかって話したことがあったんですけど、やるまでの準備が大変で面倒だという理由で却下されました。(;^ω^)

 

あっ、それと、もうひとつ紹介されていた 川という漢字を啜上げている口中は象形文字の源泉 という一首もすごく好きです。