両親の離婚、母親と友人の自殺、養護施設での虐待、叔父からのDV、ホームレス生活・・・この壮絶な経歴が大きな話題を生んだセーラー服歌人・鳥居さんの歌集。
慰めに「勉強など」と人はは言う、その勉強がしたかったのです
そう・・・彼女の代名詞であるセーラー服は、勉強がしたくてもできなかったことへの象徴であり、この国においてもまともに教育を受けられない子供が他にもいることを知ってもらいたいという切なる願いでもあるのです。
揃えられ主人の帰り待っている飛び降りたこと知らぬ革靴
剥き出しの生肉のまま這う我を蛇のようだと笑う者おり
先生に蹴り飛ばされて伏す床にトイレスリッパ散らばっていく
友達の破片が線路に落ちていてわたしと同じ紺の制服
警報の音が鳴り止み遮断機が気づいたように首をもたげる
過酷な経験をされただけに描写は目を背けたくなるほど生々しく鋭いけど、迸るような情念ではなく淡々と事実だけが詠われていることが逆に凄みとなって迫力を感じます。頭の中で映像がパッと思い浮かぶほど精巧な描写とその淡々とした感じが、あぁ・・・それだけの経験をされてきたのだなぁとリアルさが伝わってきました。
それから、四六時中誰かの顔色を窺がっていたであろう環境の中でやはりと言うべきか、彼女は人の心理を読み解く能力がスバ抜けて鋭いです。相手が何気なく発した言葉やしぐさの引っ掛かりにものすごく過敏。それが歌人としての資質である反面、その度に傷を負い心をざわつかせているのがわかるから読み進めるたびに心が痛くなります。
自分の体験を踏まえると、子供のころは「内心見下しているんだな」とかネガティブな感情や底意地の悪さが透けてみえるとカチンときて、「バカにするな」と言わんばかりに強い態度に出てしまうことがあったようです。あったようですというのは、本人が自覚している以上に強情だったことも多々あったみたいで・・・。(^^;)
年齢を重ねると共に、大人の対応として気づかないフリをすることも覚えましたけど、そういうのってどんなに隠していてもわかる人にはわかるんですよね。
昼休み「家族はみんな死んでん」と水を飲みつつクラスメイトに
何でもないようにそう言ったあと、それを聞いたクラスメイトの反応は何ひとつ描写されていません。が、その心理をかなり正確に読み取っていたのだろうことは想像できます。
なんでblogを書くの?なんで短歌を詠むの?と問われれば、心のモヤモヤを言語化することによってスッキリさせたいから。もちろん痛みも伴うこともありますが、それによって心が浄化され救われもします。発信しているのは誰かと分かち合いたいから。SNSや短歌という表現方法を手に入れ、ずいぶんと救われてきました。
想像もつかないほど過酷な道を歩み続けて、これでもかと容赦なく凄まじい泥水を浴びせられてきただろう鳥居さんもきっとそれは同じだと思います。
帯には「美しい花は泥の中に咲く」とあります。泥水が汚いほど美しく花を咲かせる蓮のような強さと気高さを持つ彼女はやがて、無名の朝倉冴希とは比べ物にならないほどのたくさんの味方とこれ以上ない強力な武器を手に入れました。
そんな彼女がこれから先、どんな活躍をされるのかとても楽しみです。