青草をのぼりつめたる天道虫ゆくりなく割れここからが空 春野りりん

「ここからが空」というタイトルにもなったこの一首。

 

「飛ぶ」でもなく「割れ」ってのがいいよね。言葉選びにセンスの良さを感じます。天道虫はね、ウチの畑でもよく見かけるけどホントこんな感じ。突然パッと羽根が割れて飛んでいくのよね。

 

まず、このタイトルが素敵だなと思いました。

 

壮大かつユニークな独自の表現

 

あめつちをささふるものかあさあけにふとくみじかき虹はたちたり「イチモンジセセリ」
この星の芯より湧きてたんぽぽのひとつひとつが空の受け皿「皐月」
あさがほの黒くしづもる種なかうづまき銀河は蔵はれてあり「葉月」
蝌蚪生れて初東雲をわたりゆくヘリコプターに姿かへつつ「睦月」

 

蝌蚪(かと)とは、おたまじゃくしのこと。おたまじゃくしをヘリコプターに見立てたり、虹を空を支える柱に見立てたり・・・。あるいは、あさがおの小さな種に潜む生命のエネルギーを、とてつもない広大な銀河だと表現してみたり

 

りりんさんの描くキャンパスはとてもスケールが大きくて壮大。タイトルに“空”があるように、物を見る視点が「天」あるいは「外」に向いている印象があります。

 

その枠にとらわれないダイナミックな発想は、小さく縮こまっていてはダメだよと背中をポンと押された気がしました。そして、物事を非常に思慮深く観察される方なのだと感じました。

 

 

パンケーキのごとくみどりご裏返しバター塗るごと背の汗を拭く「未生の時間」

 

みどりごをパンケーキに例えるとか、なかなかできない発想。誰も思いつかない独特の言い回しながら、言われてみると「確かにそうだよなぁ」と妙に納得してしまうその感性の豊かさに引き込まれます。個人的にこの世界観かなり好きです。

 

上記に挙げたように、お子さんのことを詠まれた歌が数多くあるのですが、子育て経験者の方は「あ~わかる」と共感するんじゃないかなと思います。

 

一本の柳糸のやうな若白髪つまさき立ちてきみをまた知る「一ぺてん」

なんて素敵な相聞歌も、中にはあります。

 

暮らしに息づく春夏秋冬

 

また、二章では「睦月」からはじまり「師走」までのそれぞれの月の短歌が詠まれているのですが、それぞれの四季を楽しまれている印象を受けました。そうでありたいと思っているので、共感するところが多かったです。

 

「水無月」の今ならこんな感じ。

雨音が美しいです 一行のメールが雨をすりぬけごとく「神無月」
蛍火をともして母の産みし卵ひとつひとつに光はやどる「神無月」

 

トマトの葉ちぎればトマトのにほひして昨日よりふかき空ふり仰ぐ「文月」

家庭菜園をしていると、こういう短歌とか勝手に親近感を持ちました。

 

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後半の三章では、東日本大震災の後に南相馬を訪れたときのことが掲載されています。

震災後に南相馬を訪れてとどめようもなく生まれた歌にも、息苦しさやてのひらの感触が残っている。それは時間の波に洗われることなく、私に何かを問いかけ続ける。

 

方舟に乗せてもらへぬ幼らの悲鳴のやうな朝焼けを浴ぶ「まなうらに闇を」
黄揚羽のとまりゐるわが脇腹より土地の負ひたる悲しみは入る「まなうらに闇を」
薔薇のごと外耳咲かせてねむる子よ燦々と放射線の降る日に「まなうらに闇を」

 

 

奇しくも今朝、大阪で大きな地震がありました。これ以上被害が広がらないように祈るばかりです。亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。